“逆輸入騎手”夢のJRA舞台へ新たな挑戦「藤井勘一郎物語 第2章」
3月2日からJRAデビューする“逆輸入ジョッキー”藤井勘一郎に迫る 【写真:山本智行】
「もう一度新人のような気持ちでやりたい」
「今回受かってなかったらどうなってたんでしょうね。生活のため、日本を離れ、家族でオーストラリアに渡ってたのか……。その意味で受かったことは達成感があるし、見える景色も違う。家族を安心させられたのも大きい。いまは忙しいけれど、充実していますよ。しかし、これがゴールではない。スタートラインに立ったところ。浮かれず、気を引き締めていこうと思っている。もう一度新人のような気持ちでやりたい」
所属するのは滋賀県の栗東トレーニングセンター。現在は北海道に妻と1男、1女の家族を残し、独身寮で単身生活を送っており、取材した日も精力的に調教に騎乗していた。
「トレセンには何回か来たことがありました。ゴールドシップに乗せていただいたこともあるし、今年1月には矢作(芳人)厩舎で研修させてもらいました。ただ、いままではライセンスを持ってなく、お客さんのような扱いだったわけですが、いまはフリーの騎手として調教に乗っていて、レースにつながるわけですから意識の面でも違いますね。スタートダッシュも肝心。だけど短期で乗るわけじゃない。しっかりベースをつくって、信頼関係を築いていきたい」
渡豪から20年、最初の騎手試験から10年
初勝利は見習い騎手だった2002年。その後コンスタントに勝利を挙げ、オーストラリア以外にも活躍の場を広げた。キャリアアップしながら2009年、最初のJRA騎手試験に挑んだ。以来10年で6回。過去5回は“騎乗”と“机上”の両立ができずにいずれも一次で不合格だった。
「レースに乗るのは勝負事。ある意味で野性味が必要です。一方で机の上での受験勉強は、それとは全く違いますからねぇ。そのあたりの切り替えは難しく、集中できないときもありましたが、今年は一番自信がありました。周りのバックアップが半端なかったですし、JRAとの信頼関係も築けたように思います」
「オレの分まで」芹沢元騎手もエール
「どうよ? 乗り馬、集まってる?」
「ポツリ、ポツリですかね」と返す藤井騎手。その後2人の会話は、しばし2年前の試験当日の苦い思い出話へ。最後は芹沢助手が「スタートダッシュが大事やで。オレの分までがんばってくれ」とエールを送って、その場はお開きとなった。
藤井騎手は奈良県御所市出身。福永祐一騎手に所属先を「なんで関東にしなかったん?」と聞かれると「奈良出身ですから」と答えた。父は銀行員。サラリーマンの家庭に育った。競馬に目覚めるきっかけはフジキセキが4連勝を飾った95年の弥生賞だというからちょうどいまごろの季節だ。のちに南半球とのシャトル種牡馬となっていたフジキセキの産駒にオーストラリアで騎乗。「不思議な縁を感じました。血統のおもしろさ、競馬の魅力はこんなところにもある」と話す。
初めてサラブレッドを生観戦したのは小学6年生、父に連れて行ってもらった京都競馬場だった。「パドックを周回するサラブレッドの大きさや美しさ、スピード感に圧倒された」。それと同時に帰りにはムチやゴーグルのレプリカを買ってもらい、地元の乗馬クラブに早速通い始めた。
「好きなことをやらせてくれた父には感謝しています。だから僕も子どもたちへバトンを渡したいし、諦めるような姿勢だけは見せたくなかった。それがモチベーションにもなりました」