連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

なぜ中3の息子にダンクを練習させたのか 馬場雄大の胸に刻まれる父の教え

矢内由美子
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「私のバスケ人生の集大成が彼なんです」

馬場雄大について、自らも選手として活躍し、指導者でもある父・敏春さんは「私のバスケ人生の集大成」と話す 【佐野美樹】

 馬場雄大は男子バスケットボール日本代表として、2020年東京五輪出場に大きく影響を及ぼす、ワールドカップ2019アジア地区2次予選(Window6)に、2月21日(イラン戦)と、24日(カタール戦)に挑む。
 自らもバスケットボール選手として活躍した父・馬場敏春さんは新潟出身だった。身長200センチの大型選手として将来を嘱望され、1973年の千葉国体では、エースとして新潟県チームを準優勝に輝き、後に日本代表監督を務めることになる小浜元孝監督(当時)の誘いで法政大学に進んだ。

 身長が200センチあり、走れてシュートがうまく、ディフェンスも巧みな敏春さんは、類いまれな器用さを持つ長身選手として評価されていたが、いかんせん、パワー不足という弱点があった。そのため、高身長でありながらダンクシュートができなかった。

 敏春さんが入学した法政大学には、同学年にスーパースターと称される三神雅明(後に松下電器で日本リーグMVP受賞)がおり、ひとつ下には熊谷勝成(後にいすゞ自動車で日本リーグベスト5)という、これまたとてつもない能力を持つ選手がいた。三神は191センチでダンクシュートもロングシュートもお手のもの。198センチの熊谷は新入生として入ってくるや否や、3メンや5メンでダンクをビシバシ決めて敏春さんの度肝を抜かせた。

 そして、敏春さんが大学2年生のとき。3人は日本代表候補に選出されたが、代表候補合宿が終わると、敏春さんだけが候補から脱落した。
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著者プロフィール

北海道生まれ。北海道大卒業後にスポーツニッポン新聞社に入社し、五輪、サッカーなどを担当。06年に退社し、以後フリーランスとして活動。Jリーグ浦和レッズオフィシャルメディア『REDS TOMORROW』編集長を務める。近著に『ザック・ジャパンの流儀』(学研新書)

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