連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

栃木ブレックスのエース比江島慎は、亡き母との約束をかなえるため兄と歩む

矢内由美子

東京五輪にこだわるのは家族への思いから

比江島慎が東京五輪にもつながるW杯出場に人一倍強い思いを抱くのは、家族との約束があったから 【佐野美樹】

 独特のリズムで繰り出すドリブルと決定力の高いシュートを武器とし、一対一で圧倒的な強さを誇る。ひとたびスイッチが入ると得点が止まらなくなる時間帯は「比江島タイム」と呼ばれ、相手を恐れさせる。
 日本バスケットボール界で天才と称されているプレーヤー、それが比江島慎(栃木ブレックス)だ。彼が2020年東京五輪を見つめる眼差しは今、とてつもなく強い輝きを放っている。それは、昨年4月に57歳の若さで突然天国に逝ってしまった母・淳子さんとの約束があるから。公私を支えてくれている兄・比江島章さん(ステラリアン・バスケットボール株式会社代表取締役社長)と重ねる思いがあるからだ。

 東京五輪出場のカギを握るワールドカップ2019アジア地区2次予選を控えた比江島と、兄の章さんを取材し、“3人”の心に息づくキズナを見つめた。

比江島はW杯2次予選でここまで全10試合に出場。家族の思いも背負いながら、チームをけん引する 【中村博之】

 1990年8月11日――真夏の太陽が照りつける福岡県古賀市で、比江島は産声を上げた。3歳上に兄の章さんがいた。ふたりは幼い頃から体を動かすことが大好きだった。比江島が幼稚園生の頃、小学3年生だった章さんがミニバスチームの古賀ブレイスに入ると、比江島はその翌年、小学1年生になるタイミングで同じチームに入った。

「ミニバスを始めたのは小1の終わり頃でした。お母さんと一緒に兄ちゃんの応援に行ったとき、たぶん監督から『お前もやれよ』というような感じで誘ってもらったんだと思います。じゃあ、ということで練習に行って、そこでハマったんですよね」

 最初は体育館のステージの上でドリブルやパスなどの基礎を徹底的に仕込まれたが、次第にフロアでの練習もするようになった。

「当時は監督に遠目からのシュートを禁止されていたんです。だから(ペイントエリアの)中までしっかりドリブルで入ってから打つように心がけていました。好きだったのは一対一の練習。チームは月水金と土日が練習で、平日は21時か22時まで練習していたと思います。バスケの基礎だけじゃなく、礼儀も徹底して教えてくれる、とても良いチームでした。だから、他の習いごとは全然やらずに、ひたすらバスケの日々でしたね」

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著者プロフィール

北海道生まれ。北海道大卒業後にスポーツニッポン新聞社に入社し、五輪、サッカーなどを担当。06年に退社し、以後フリーランスとして活動。Jリーグ浦和レッズオフィシャルメディア『REDS TOMORROW』編集長を務める。近著に『ザック・ジャパンの流儀』(学研新書)

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