連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

篠山竜青、バスケ一家に生まれて…川崎ブレイブサンダース司令塔の少年時代

大島和人

“左利き”は将来を考えた母の狙い

川崎ブレイブサンダースの司令塔として活躍する篠山竜青は母親も経験者というバスケ一家に育った 【中村博之】

 川崎ブレイブサンダースでプレーする篠山竜青は、家族との間に特別な「熱さ」「濃さ」がある。物心がついた頃から大人になった今まで、母と子はいくつもの壁をともに乗り越えてきた。
 篠山は司令塔として状況を読み、チームを導くポイントガードだ。まもなくワールドカップ予選の大一番を迎える、バスケットボール男子日本代表ではキャプテンも務めている。母はそんな息子をうまく導き、未来に向けた「パス」を出してきた。母親の幸子さんは篠山のピンチや転機で、息子にどんな言葉を送ってきたのか。そんな母を息子はどう思っているのか。ふたりが存分に語ってくれた。

 篠山は3人兄弟の末っ子として、1988年7月20日に生まれた。8歳上の兄・鉄兵さん、5歳上の姉・さおりさんはいずれもバスケットボール選手として全国大会を経験したスポーツ一家だ。

 母は竜青の幼少期をこう振り返る。

「生まれてすぐ感染症にかかって入院して、点滴を受けたりもしていました。とにかく元気で明るくいてくれれば、何もこの子には望まない――。そう思ったし、そのまま育った気がします。小さい頃は親からも兄姉からも可愛がられて育った子です」

 竜青は兄、姉との関係をこう口にする。

「ケンカは一切したことがないです。ケンカをしてもかなわないくらい、年の差は離れていました。赤ちゃんのときはふたりですごく面倒を見てくれていたと聞いています。お風呂は赤ちゃんのときからお兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒に入っていました」

 幸子さんもバスケ経験者で、ミニバス(小学生年代)を指導していた時期がある。バスケは幼少期から常に竜青の身近にあった。

スポーツでは左利きが強みとなる。それを理解していた母は篠山をサウスポーとして育てた 【中村博之】

「物心がついたときから家にはボールがありました。『月刊バスケットボール』もありましたし、字を読めないときから『SLAM DUNK』はペラペラと絵本のように読んでいました」

 スポーツで子どもを育てることが、篠山家の方針だった。竜青は兄弟で唯一の左利きだ。対人競技はどんな種目も左利きが強みとなる。幸子さんはそれがよく分かっていた。

「お兄ちゃんもお姉ちゃんも、サウスポー(左利き)にしたかったんです。左に持たせたらすぐ右に持ち替えてしまうからあきらめました。でも竜青は左に持たせたらずっと左だったんです。試しに右に持たせても左に持ち替えた。スポーツと芸術は左がいいと考えていたので、シメシメと思いましたね」

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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