「太陽のエース」棚橋中心に回りだす歯車 1.5後楽園は不気味な沈黙

高木裕美

平成とともに歩んだ棚橋弘至

4年ぶり8度目の戴冠を果たした棚橋 【写真:SHUHEI YOKOTA】

「平成最後」となる新春恒例の新日本プロレス1.4東京ドーム大会では、メインイベントで“エース”棚橋弘至がケニー・オメガを破り、約4年ぶり、実に8度目となるIWGPヘビー級王座を戴冠。1992年(平成4年)から現在まで28回連続で開催され、まさに平成という時代と共に歩んできた「イッテンヨン」の歴史に、またひとつ名を残した。

 1972年(昭和47年)3月の団体旗揚げ以来、創始者アントニオ猪木をはじめとする数々のスター選手が誕生し、数多のドラマを生み出してきた新日本マット。70年代は猪木による異種格闘技戦が話題をさらい、80年代はタイガーマスク旋風や、長州力と藤波辰巳(辰爾)による「名勝負数え歌」にゴールデンタイムの視聴者が熱狂。そして90年代は武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也による闘魂三銃士が活躍し、真夏の祭典「G1 CLIMAX」もスタート。しかし、棚橋のデビュー直後である2000年代前半の新日本は“暗黒期”に陥っていた。

 世間では空前の総合格闘技ブームが巻き起こる一方、新日本では主力選手が続々と退団。だが、棚橋は師匠・武藤敬司からの全日本プロレス移籍の誘いを断ってまで、新日本でトップを目指すことを決意。02年11月には女性スキャンダルに見舞われ、肉体的にも人気的にもドン底まで落ちながらも、翌年には30歳以下の選手で争う「U−30無差別級王座」の設立を提案し、初代王者に君臨。約2年に渡り11度防衛し、若手世代の底上げに大きく貢献した。

 05年の1.4ドームでは、同王座を賭けて元タッグパートナーである中邑真輔を迎え撃ち、初のメインに登場。06年7月にはIWGPヘビー級王座を初戴冠し、初めて観客に向かって「愛してます」と叫んだ。12年1.4では、当時のIWGP最多防衛新記録となるV11を樹立。真逆のタイプである中邑とのライバルストーリーや、クオリティの高い防衛戦、惜しみないファンサービスがじわじわと観客の支持を集め、新日本はついに「冬の時代」から脱却。かつては「チャラ男」と蔑まれ、憎悪やブーイングの対象となっていた男が、いつしか新日本の中心でファンに取り囲まれ、熱い声援を受ける存在へと成長していった。

 12年2月には、TNAから凱旋帰国した新鋭オカダ・カズチカに敗れ、IWGP王座連続防衛記録を止められる「レインメーカーショック」が勃発。一躍、時代の寵児となったオカダに対し、棚橋も1.4の大舞台を利用し、13年は実力で、14年は人気で、自分の方が上であることを示すと、15年もオカダを粉砕。しかし、16年はオカダに敗北し、ドームのメインでの連勝記録は5でストップ。以後はケガに泣かされ、タイトル戦線からも離脱。昨年5月には「おまえの防衛記録、オレが止めてやる」とオカダのIWGP王座に挑むもレインメーカーに撃沈し、自身の記録を破るV12達成の瞬間を目の前で見せ付けられた。

新刺客はジェイ・ホワイト

「オレのベルトだ」と挑戦表明したジェイ・ホワイト 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 しかし、ドン底を知る男の意地と、苦楽を共にしてきたファンの熱意が、まだ「太陽」が沈むことを許さなかった。棚橋は同年8月のG1で3年ぶり3度目の優勝を果たし、IWGP王者オメガへの挑戦権を獲得。戦前から舌戦を繰り広げ「イデオロギー闘争」とも言われた戦いを、39分以上に及ぶ死闘の末に制し、再び、新日本の頂点に返り咲いてみせた。

「また、このIWGPのベルトと新しい風景を作っていきます」と宣言した新王者への次の刺客は26歳の“スイッチ・ブレイド”ジェイ・ホワイトだ。元ヤングライオンのジェイは、18年1.4で棚橋のIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦するも敗北。だが、8月のG1では反則ながら勝利を挙げており、今年の1.4ではオカダに完勝。翌日の1.5後楽園ホール大会では、リング上から棚橋に「オレの時代、オレのベルトだ」と挑戦表明し、必殺のブレードランナーでKOした。

 栄光を極めたチャンピオンに勢いのある若手が挑むというシチュエーションは、7年前の「レインメーカーショック」の再来もよぎる。だが、その一方で、時代の波に乗った外国人選手を不動のエースが叩き潰すという構図は、今年の1.4の再現ともいえる。ましてや、“ベストバウトマシーン”として観客の支持も高かったオメガと違い、ジェイは反感買いまくり、ブーイング浴びまくりの反逆児。昔からの信者も、新しいファンも、圧倒的に棚橋を応援するのは明らかだ。逆に言えば、ジェイの新王者誕生を許せば、再び“暗黒期”突入を許すことになる。新元号となる来年は初の1.4&1.5東京ドーム2DAYS開催も決定。ビッグマッチを成功させるため、棚橋はこれからも太陽のエースであり続ける。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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