混乱のコパ・リベルタドーレス決勝 異例のサンティアゴ・ベルナベウ開催へ
「南米最高の試合」が南米で開催されない
セカンドレグが延期となり、サポーターは肩を落としてスタジアムを後にした 【写真:ロイター/アフロ】
たとえブエノスアイレスが十分な安全を保証できないとしても(そもそもファーストレグは同じブエノスアイレスで大きな問題なく開催できている)、アルゼンチンの別の地域で開催できるはずだ。たとえば今年3月には、ボカとリーベルによるスーペルコパ・アルヘンティーナがメンドーサで行われている。アルゼンチンでの開催を避けたいのであれば、チリのサンティアゴ、ウルグアイのモンテビデオ、ペルーのリマ、コロンビアのボゴタ、ブラジルのサンパウロといった決勝の舞台に相応しい南米の大都市はいくつもある。
しかもこの大会名「リベルタドーレス(=解放者たち)」には、19世紀に南米各国の独立を巡ってスペイン王政と戦った英雄たちをたたえる意味が込められている。その決勝を他でもないスペインの首都で開催しようという発想は理解し難いものだ。
矛盾にあふれた決断がもたらす不信感
G−20ブエノスアイレス・サミットにはFIFAのジャンニ・インファンティーノ会長、CONMEBOLのアレハンドロ・ドミンゲス会長も参加していた。マクリは彼らに最後までアルゼンチンでの開催を訴え続けたものの、CONMEBOLの決定が覆されることはなかった。
なぜ他のどの国でもなく、スペインである必要があるのか。CONMEBOLの元にはカタールのドーハ、フランスのパリ、ブラジルのサンパウロ、そして同じスペインでもカタルーニャのバルセロナといった都市から招待状が届いていた。だがCONMEBOLは言葉やスポンサー、フライトの便、スタジアムのキャパシティー(モヌメンタルより2万人多い8万人収容)、市場価値の高いユーロでの収入が得られること、そして多くのアルゼンチン人が住んでいることなどを重視し、マドリードでの開催を選んだ。そのためにリーベルのファンとソシオは、本拠地で決勝が行われるまたとない機会を失うことになった。
アルゼンチンの2大クラブによる南米最大のファイナルは、予期せぬ形により欧州の地マドリードで行われることになった。あらゆる面で矛盾にあふれたこの決断は、フットボール界を牛耳る指導者たちに対して大きな不信感を残すことになるだろう。
(翻訳:工藤拓)