「君、パワーリフティングに向いてるよ」 才能見いだされた15歳・森崎可林

荒木美晴
 2020年東京大会そして世界に向けて、それぞれの地元から羽ばたくアスリートを紹介する連載企画「未来に輝け! ニッポンのアスリートたち」。第28回は滋賀県在住、パラ・パワーリフティングの森崎可林(立命館守山高)を紹介する。

アスリート発掘プロジェクトをきっかけに競技転向

アスリート発掘プロジェクトで才能を見いだされた15歳・森崎可林。水泳から競技転向し、パラリンピック出場を目指している 【スポーツナビ】

 ベンチプレス台を使用し、上半身のみでバーベルを持ち上げ、その重さを競うパラ・パワーリフティング。下肢障がいの選手たちによる競技で、体重別で行われる。バーベルを胸まで下して再び持ち上げるまで、わずか3秒程度。シンプルがゆえに、強靭(きょうじん)な肉体と精神力が求められる奥深い競技で、その一瞬に凝縮されたドラマチックな展開が人気だ。

 このスポーツに昨年から取り組むのが、高校1年の森崎可林だ。2017年度のアスリート発掘事業「ジャパン・ライジング・スター・プロジェクト」に参加。そこでパラ・パワーリフティングに出合い、運命の扉が開いた。

 実はプロジェクトへの申し込みは、幼い頃から取り組んでいた「水泳」専攻だった。ところが、「測定会で車いすの5分完走などの基礎トレーニングをしていたら、急にすごく大きな体の人がこっちに向かって歩いてきて、『君、パワーリフティングに向いてるよ。体験しにおいで』って言われて……」と、突然の出会いがあったことを振り返る。

 彼女に声を掛けた人、それこそが日本パラ・パワーリフティング連盟の吉田進理事長だった。それまでは、パラ・パワーリフティングという競技名も知らなったという森崎。だが、吉田理事長の誘いを受け、体験ブースに行った彼女の目に映ったものは、なんとも心躍る世界だった。

「マックさん(女子55キロ級のマクドナルド山本恵理)が試技をしているのを間近で見て、うわ、格好いいなと思いました。それで実際に私も体験してみたら、すごく楽しくて。寝転んでバーを押し上げた瞬間が、本当に気持ちよくて、すっきりした。『面白いな、この世界!』と思ったことを覚えています」

 滋賀県在住の森崎が競技を始めるにあたり、ナショナルトレーニングセンター(競技別強化拠点施設)が隣の京都府(サン・アビリティーズ城陽)にあることも大きかった。継続して通いやすく、先輩選手やコーチから多くを学ぶことができる。その環境が森崎の吸収のスピードを加速させた。

競技開始3カ月で日本選手権デビュー

初めての日本選手権でも緊張しなかったと話す森崎だが、バイオリンの発表会では失敗したことも 【スポーツナビ】

 17年12月、日本選手権でデビューを果たした。競技を始めてわずか3カ月で臨んだ大舞台。会場中の視線が、たった一人に集まる独特の雰囲気だ。そんななか、森崎はリズムを崩すことなく、集中して試技に臨み、周りの大人たちを驚かせた。

 ちなみに、人生のなかで「緊張する場面」は確かにあるという。それは3歳から習っている、バイオリンなのだそう。「なにかを記憶して発信する、というのがダメで。弾いている最中に譜面がとんでしまって、舞台袖で泣いたこともあります。でも、スポーツは大丈夫みたいです」と笑う。

 競技を始めて、1年。今はこのパラ・パワーリフティングのとりこになりつつある。

「やったらやった分だけ、結果が出やすいのがこの競技の良いところだと思うんです。トレーニングをしたらすぐに結果が出るわけじゃないけれど、努力が成果として目に見えて表れる競技なので、モチベーションは高いです。頑張りたいですね」

 現在は、自宅で毎日、腹筋と3キロのダンベルを使った補助トレーニングを行う傍ら、尊敬する久保匡平コーチの指導のもと、強化に励む。肩甲骨を寄せて、肩を落とすといったフォームの微妙な調整と集中力を高めるルーティンを意識しながら、黙々と練習をこなす。そんな森崎について、久保コーチは「知識ゼロからスタートしているから、吸収が早い。水泳をやっていたこともあって左右のバランス力が高い」と身体能力の高さを評価する。

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著者プロフィール

1998年長野パラリンピックで観戦したアイススレッジホッケーの迫力に「ズキュン!」と心を打ち抜かれ、追っかけをスタート。以来、障害者スポーツ全般の魅力に取り付かれ、国内外の大会を取材している。日本における障スポ競技の普及を願いつつマイペースに活動中

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