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トゥーロンで見えた東京五輪世代の課題
足りないのは勝ち点勘定と駆け引きの妙

U−21代表、トゥーロン国際大会は7位で終了

トルコとの初戦で逆転負けを喫した日本は、目標だった準決勝進出ならず
トルコとの初戦で逆転負けを喫した日本は、目標だった準決勝進出ならず【写真は共同】

 5月末から6月初旬にかけて、第46回トゥーロン国際大会はフランス南部の都市トゥーロンにて開催……されてはいなかった。正確に言うと、大会は行われたのだが、現在の開催地はトゥーロンではないのだ。マルセイユ周辺での開催である。


 トゥーロン国際大会の原点は半世紀以上前の1967年までさかのぼることができ、当初はクラブチームの国際大会だった。74年からは年代別のナショナルチームの大会となり、ヨーロッパでも指折りの歴史を持つ国際ユース大会となっている。年によって年齢制限が違っていたりするのだが、基本的にはU−21年代前後の大会である。今大会は97年1月1日以降に生まれた選手たちが対象となっており、これは2年後の東京五輪において「U−23」となる年代。つまり、五輪のターゲットエイジの代表チームが集う大会だった。


 2000年代から継続的にこの大会へ参加している日本は、当然ながら東京五輪を目指すU−21日本代表をこの大会へ派遣した。欧州勢はもちろん、ラテンアメリカやアフリカのチームも参加する中で、「異質なスタイル、個性を持つ4カ国によるグループリーグ戦」を体感できるだけでも大きな意味がある。この戦いで得られる経験値が五輪に通じるのは当然のことで、ワールドカップ(W杯)にも通じるものがあるからだ。

「したたかさ」を欠いていた日本代表

U−21代表を率いる森保監督(右)は、A代表のコーチを兼任するため今大会は不在だった
U−21代表を率いる森保監督(右)は、A代表のコーチを兼任するため今大会は不在だった【Getty Images】

 この大会を貴重な機会と捉えていた日本にとって、大会を前にして「監督」がいなくなってしまったのは少々誤算ではあった。チームを率いる森保一監督はA代表のヴァイッド・ハリルホジッチ前監督が更迭されたことに伴う人事でA代表コーチへ抜てきされ、今大会は不在に。代わって横内昭展コーチが代行として指揮を執ることとなったのだ。


 ただ、幸いにも横内監督代行はサンフレッチェ広島時代を含めて長く森保監督の下でコーチを務めてきた“一心同体”に近い関係性の持ち主。横内監督代行が「考えていることも、言う内容も、そんなに差はないと思いますよ」と笑って言うように、いざ練習が始まってしまえば違和感なし。これまでにも招集されてきた選手たちがほとんどというメンバー構成もあり、戦術面で食い違いが生じるということはなかった。結果についても、安易に森保監督不在を原因と見なすべきではないだろう。


 その結果はと言えば、トルコ、ポルトガル、カナダと対戦したグループリーグを1勝1分け1敗という戦績で終え、3位。大きな目標としていた準決勝進出は果たせなかったが、順位決定戦ではアフリカ勢のトーゴを破り、12チーム中7位という成績でのフィニッシュとなった。絶望的に悪い戦績ではなかったわけだが、ここは「差があったということ」(横内監督代行)という現場の感触をまず受け止めるべきだろう。


 何が「差」だったのか。横内監督代行は粘り強い戦いぶりで決勝進出を果たしたメキシコを引き合いに出して「したたかさ」について指摘していたが、これが顕著に出ていたのは日本にとっての初戦であるトルコとの試合だ。


「前半20分まで1−0で勝っていた試合を終わらせることができなかった。しかも、たとえば(勝ち点が)“1”でもよかったんですよ。そこで3から0になったのは課題です」(横内監督代行)

川端暁彦
川端暁彦
1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカー批評』『サッカーマガジンZONE』『月刊ローソンチケット』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。2014年3月に『Jの新人』(東邦出版)を刊行

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