トゥーロンで見えた東京五輪世代の課題 足りないのは勝ち点勘定と駆け引きの妙
U−21代表、トゥーロン国際大会は7位で終了
トルコとの初戦で逆転負けを喫した日本は、目標だった準決勝進出ならず 【写真は共同】
トゥーロン国際大会の原点は半世紀以上前の1967年までさかのぼることができ、当初はクラブチームの国際大会だった。74年からは年代別のナショナルチームの大会となり、ヨーロッパでも指折りの歴史を持つ国際ユース大会となっている。年によって年齢制限が違っていたりするのだが、基本的にはU−21年代前後の大会である。今大会は97年1月1日以降に生まれた選手たちが対象となっており、これは2年後の東京五輪において「U−23」となる年代。つまり、五輪のターゲットエイジの代表チームが集う大会だった。
2000年代から継続的にこの大会へ参加している日本は、当然ながら東京五輪を目指すU−21日本代表をこの大会へ派遣した。欧州勢はもちろん、ラテンアメリカやアフリカのチームも参加する中で、「異質なスタイル、個性を持つ4カ国によるグループリーグ戦」を体感できるだけでも大きな意味がある。この戦いで得られる経験値が五輪に通じるのは当然のことで、ワールドカップ(W杯)にも通じるものがあるからだ。
「したたかさ」を欠いていた日本代表
U−21代表を率いる森保監督(右)は、A代表のコーチを兼任するため今大会は不在だった 【Getty Images】
ただ、幸いにも横内監督代行はサンフレッチェ広島時代を含めて長く森保監督の下でコーチを務めてきた“一心同体”に近い関係性の持ち主。横内監督代行が「考えていることも、言う内容も、そんなに差はないと思いますよ」と笑って言うように、いざ練習が始まってしまえば違和感なし。これまでにも招集されてきた選手たちがほとんどというメンバー構成もあり、戦術面で食い違いが生じるということはなかった。結果についても、安易に森保監督不在を原因と見なすべきではないだろう。
その結果はと言えば、トルコ、ポルトガル、カナダと対戦したグループリーグを1勝1分け1敗という戦績で終え、3位。大きな目標としていた準決勝進出は果たせなかったが、順位決定戦ではアフリカ勢のトーゴを破り、12チーム中7位という成績でのフィニッシュとなった。絶望的に悪い戦績ではなかったわけだが、ここは「差があったということ」(横内監督代行)という現場の感触をまず受け止めるべきだろう。
何が「差」だったのか。横内監督代行は粘り強い戦いぶりで決勝進出を果たしたメキシコを引き合いに出して「したたかさ」について指摘していたが、これが顕著に出ていたのは日本にとっての初戦であるトルコとの試合だ。
「前半20分まで1−0で勝っていた試合を終わらせることができなかった。しかも、たとえば(勝ち点が)“1”でもよかったんですよ。そこで3から0になったのは課題です」(横内監督代行)