「イングランドDNA」は浸透しているか 改革進める協会、ロシアW杯での目標は?
サッカー界の流れに置いていかれた母国
ここ20年、イングランド代表は国際大会で8強の壁を破れずにいる 【Getty Images】
主要国際大会での栄光は、自国開催だった1966年のワールドカップ(W杯)が最初で最後。前回に成果らしい成果を上げたと言える大会にしても、これも自国開催でベスト4まで駒を進めた96年の欧州選手権(ユーロ)にさかのぼる。その20年後のユーロ2016では、メディアから「国辱的敗北」と言われたアイスランド戦(1−2)で、ベスト16敗退を味わうことになった。
イングランドサッカー協会(以下、FA)を含む母国民が目を覚ますきっかけとなったのは、ドイツとの16強対決で大敗(1−4)した10年W杯南アフリカ大会だ。名将と呼ばれたファビオ・カペッロに率いられ、スティーブン・ジェラードら「黄金世代」も円熟期にあった代表には、国内で優勝が期待されていた。
にもかかわらず早期敗退が決まったドイツ戦は、前半にフランク・ランパードの同点ゴールが幻となった(編注:ランパードのシュートがクロスバーに当たりゴールラインの内側に落ちたが、ノーゴールと判定された)一戦でもあったが、記者席で見届けた筆者も、後にゴール判定システム導入につながる誤審への無念より、完敗の失意を強く覚えた。その迫力とスリルで世界的な人気を誇るプレミアリーグが外資と外国人選手を引き寄せる一方で、国産選手の技術と戦術理解力が世界トップレベルから遅れを取るようになっていたのだ。
その南ア大会から2大会目となる今夏は、22年W杯カタール大会での優勝を目標にFA主導で取り組みが始まった“イングランド復興作業”の進捗を、世界のひのき舞台で具体的に測る初の機会となる。4年前のブラジル大会は、世代交代への着手で精いっぱいだった。大会メンバーの平均年齢こそ南ア大会での29.8歳から26歳へと引き下げられたが、ロイ・ホジソン監督が率いた代表は、1勝もできずグループ最下位に終わった。
育成のエキスパートから代表監督へ
U−21から昇格し、A代表をW杯出場に導いたサウスゲート監督 【写真:ロイター/アフロ】
しかしながら、4試合の暫定指揮を経て実現したサウスゲートの正監督昇格は然るべき人事だった。育成を含む抜本改革の代名詞とも言うべき「イングランドDNA」を、彼は体現する指揮官だからだ。
改革の指針を簡単に言えば、高い技術を前提とする視点でタレントを発掘し、指導の重点もフィジカルからテクニックへと移し、若い才能を伸ばすための環境と実戦を含む過程の中で、プレッシャーをもエネルギーに変えられるトップクラスを代表に輩出すること。8年前には、指導者と代表選手の育成ハブとなるセント・ジョージズ・パークが新設され、EPPP(エリート・プレーヤー・パフォーマンス・プラン)導入も見た。アカデミーの等級分けが2段階から4段階へと厳密化され、日々の育成を行うクラブレベルで、より充実した環境が将来有望な若手に用意されるようになった。
こうして動き出した改革の中で、エリート選手育成の責任者を務めていたのがサウスゲートだった。それに続いてU−21代表監督を任された元代表DFは、A代表での監督就任時に「ユースで育っているタレントを熟知しているからこそ自分が選ばれた」と発言。実際、ノルマとされた18年W杯予選突破が達成されるとすぐに、新たな「DNA」に沿った代表チーム作りに力を入れ始めた。従来の基本だった4−2−3−1システムは、予選で10戦無敗のグループ首位通過という結果をもたらしはしたものの、守備的で1トップが孤立しがちだったことから過去のものに。ボールを持って後方からつなぐ攻めのスタイルで戦う基本形として、3バック採用の意向が明らかにされた。