NBA規格外の“ギリシャの変わり種” アデトクンボを突き動かした「恐怖」

佐々木クリス

唯一無二のオールラウンダー

“ギリシャの変わり種”の異名を持つミルウォーキー・バックスのヤニス・アデトクンボ 【(C) 2018 NBAE Photo By Gary Dineen NBAE / Getty Images】

 5年と言う月日はあっという間に流れる。ただしミルウォーキー・バックスに所属するヤニス・アデトクンボはその1分1秒も無駄にしなかった。NBAで新人のころは「名前が最も読みにくい選手」としての話題が先行し、ダイヤの原石は「原石」としてしか見られていなかった。

 そんな彼を突き動かしたのは、「恐怖」だった。NBAに入り、故郷ギリシャから遠いミルウォーキーでの生活全てが夢であり、不意に誰かにその夢から起こされてしまうのではないか――。文字通り、1分でも1秒でも長くコートに立つことをむさぼり続けた。

 試合で敗れようものなら、背番号34がついたジャージを着たままホームアリーナから練習会場に車を走らせ、街中が静まり返る深夜まで再び汗を流すことも珍しくなかったという。全ては自分のふがいなさに対する怒りを払拭(ふっしょく)するために。

 現在23歳のヤニスは2013年にドラフト15位でバックス入りした後、すでにNBAオールスター選出2回を誇るばかりか、昨季はNBA史上初となる得点、リバウンド、アシスト、ブロック、スティールの主要スタッツ5部門全てでリーグトップ20にランクインする唯一無二のオールラウンダーとなった。

 身長211センチ、両手を水平に広げたウィングスパンは221センチ、手の大きさは30.5センチと全てがNBA界でも規格外。彼の手と指の長さは野球のグローブと同じくらいと言ってもいい。人知を超えたその手足の長さ、見る者を惹き付けるインパクト。いつの日か彼は「グリーク・フリーク」、“ギリシャの変わり種”の異名を持つようになった。

不法移民の家庭に生まれて

 ナイジェリア出身であるヤニスの両親は、家族のためにより良い生活を求めた不法移民。ヤニスはギリシャで生まれるが、生まれた時には「国籍」がなかった。両親と兄弟たちはひとつの部屋をシェアする生活をアテネで送っていたが、ビザがないため両親は定職に就くことができず、ヤニスもその日の空腹を満たす期待を持ちながら眼鏡や腕時計、ビデオゲームやDVDなどを道ばたで販売する行商していたそうだ。

 あきらめの悪いセールスと、若く愛くるしい容姿で家族の中でも1番の販売成績だったとヤニスは振り返る。正式にギリシャ国籍を得たのは12年にギリシャ2部のチームとプロ契約した時で、13年にはギリシャ代表として名を連ねる目前までになる。

 当時を振り返ってヤニスは「多くの選手は『子供のころ、コービー・ブライアント、マイケル・ジョーダン、レブロン・ジェームズ、マジック・ジョンソンを見て、彼らのようになりたいと思った』と打ち明けるだろう。でも僕にとっては全く違った」と17年2月に『スポーツ・イラストレイテッド』誌のインタビューに答えている。当時、手足の長さはお客さんの気を引く程度の「きっかけ」ぐらいにしかならなかったという。

 しかし、その恵まれた「神からの贈り物」にNBA界が気付くのに、そう時間はかからなかった。そのきっかけは武器へと変わっていく。そして今、彼の武器はファンの歓声と歓喜の瞬間への飽くなき飢えによって、かつてないほど磨かれているのだ。

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