存在感増す怪力・栃ノ心と怪物・逸ノ城 群雄割拠の時代は新たなステージに

荒井太郎

優勝候補に挙げられた栃ノ心

一時の低迷を脱した栃ノ心(左)と逸ノ城。今年は力自慢の両力士が土俵を盛り上げている 【写真は共同】

「荒れる春場所」と言われるが、荒れたのは土俵外だけで終わってみれば、鶴竜が13勝2敗で通算4度目の優勝。白鵬、稀勢の里の2横綱が全休した中、一人横綱としての重責もしっかりと果たした。その鶴竜が14日目に優勝を決めるまでに唯一、土をつけたのが関脇栃ノ心(編注:鶴竜は千秋楽で高安に敗れた)。右四つ、左上手を引きつけて胸を合わせる十分な体勢になると堂々と寄り切った。

 平成30年の土俵は栃ノ心の平幕優勝で幕を開けた。進退を懸けていた横綱鶴竜が初日から盤石な相撲で10連勝するが、その翌日から4連敗と大失速するのを尻目に、前頭3枚目の栃ノ心は力強い相撲で快調に白星を重ね、7日目、鶴竜との全勝対決こそ敗れたが、その後は崩れることなく14勝1敗で初賜盃を抱いた。

 初場所前にジョージア出身の30歳の優勝を予想していた者は皆無だったに違いない。それでも終わってみれば、波乱という印象は全くなく、むしろ優勝するべくして優勝したと言っても過言ではないほど、圧倒的な強さが際立っていた。

 3月場所前も関脇に返り咲いた栃ノ心の好調ぶりが伝えられた。出稽古に来た大関豪栄道との三番稽古ではほぼ互角の内容に「明日が初日でもいい」と舌も滑らか。

 一方で、前場所休場の白鵬、稀勢の里は大阪入りしたものの調子は一向に上がらず、初日の取組編成直前に休場を表明することになる。鶴竜も1月場所千秋楽で痛めた右手の状態が芳しくなく、仕上がりは順調とは言い難かった。優勝候補の一角とも言われた大関高安も二所一門の連合稽古で玉鷲に圧倒されるなど、不安を抱かせる調整ぶり。

 場所前の稽古内容に鑑みれば、栃ノ心を優勝候補の筆頭に挙げても何らおかしくはない状況だった。もし、1月場所に続いて連覇なら、場所後の大関昇進はあるのか。そんな話題すら、マスコミの間では挙がるほどであった。しかし、場所直前にアクシデントが襲う。

ケガの影響を感じさせた序盤の2敗

貴景勝にはたき込みで敗れた一番はケガの影響を感じさせた 【写真は共同】

 初日5日前の3月6日、前日に続いて出稽古に訪れていた豪栄道との稽古中に、栃ノ心は左足の付け根を負傷。治療のため、緊急帰京する事態となってしまった。「大丈夫です」と本人は軽傷であることを強調。果たして、初日の宝富士戦はケンカ四つの相手に右を差し勝つと左上手もしっかり引きつける万全の形で寄り切り。ケガの影響は微塵も感じさせない取り口だった。

 この日は土俵入りが終わった後、中入りのときに賜盃と優勝旗の返還があった。
「初めてだから、ドキドキしたよ。(今場所は)ドキドキしながら、落ち着いてやっていきたい」と平常心を心掛けつつも、優勝の感動をまた味わいたいという思いも強くしたはずだ。

 だが、翌2日目には早くも暗雲が立ち込める。左太ももには前日にはなかったテーピングが巻かれていた。過去12勝3敗と相性のよかった玉鷲に押し込まれ、反撃にいこうとするも左足がどうしても前に出ない。上体を起こされ、足がそろったところをはたき込まれて初黒星を喫した。

「失敗した。立ち合いで終わった。もっと膝を曲げないといけない」と反省の弁。さらに4日目の貴景勝戦でも得意の左上手を切られると、突っ張りに転じて攻め立てるが、やはり出足が伴わず、不覚を取ってしまい2敗目に「クソー、悔しいな」。傍目には左足負傷の影響が決して小さくないように思われたが、翌日から5連勝と持ち直した。

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著者プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供多数。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』『大相撲あるある』など。『大相撲八百長批判を嗤う』では著者の玉木正之氏と対談。雑誌『相撲ファン』で監修を務める。

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