フェンシングの町で培った技術を世界で 長野出身・西藤俊哉が描く五輪での夢

折山淑美

長野県出身、フェンシング・フルーレの西藤俊哉を紹介する 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 2020年東京五輪そして世界に向けて、それぞれの地元から羽ばたくアスリートを紹介する連載企画「未来に輝け!ニッポンのアスリートたち」。第10回は長野県出身、フェンシングの西藤俊哉(20歳、法政大)を紹介する。

17年の世界選手権で大躍進の銀メダル

昨年の世界選手権で太田雄貴(中央)以来の銀メダルを獲得した西藤(右)。左は銅メダルの敷根崇裕 【写真は共同】

 昨年の夏、長野県民的には驚く出来事があった。

 伊那谷にある箕輪町出身の西藤俊哉(20歳)が、初出場のフェンシング世界選手権(ドイツ・ライプチヒ)男子フルーレで準優勝を果たしたのだ。しかもその戦いは2回戦で太田雄貴(現・日本フェンシング協会会長)のライバルでもあり、過去4度の世界選手権制覇の経験を持つピーター・ヨピッヒ(ドイツ)を15対5で破った。その後は、リオデジャネイロ五輪の上位選手ばかりと対戦し、銅メダルのティムール・サフィン(ロシア)を15対14で破り、4位のリチャード・クルス(イギリス)には15対11、準決勝では金メダリストのダニエレ・ガロッツォ(イタリア)を15対12で破る快進撃を見せた。決勝ではドミトリー・チェレブチェンコ(ロシア)に12対15で敗れたが、10年に銅、15年に金を獲得した太田以来2人目の個人戦のメダル獲得を果たした。

「もちろんどんな試合でも出る限りは勝ちたいと思っているけど、その前のワールドカップ(W杯)ではベスト8が一回だけという状況の中での世界選手権でした。ですので、とりあえずは事前合宿などにも時間を割いて万全な準備をした上で、今の自分が力をマックスまで出した時にどのくらいまでいけるのかというのを試してみようと思った大会でした。銀メダルを獲れたのは自分でもビックリしたというのが正直なところです。しかも勝ち上がるにはメチャクチャ厳しい組み合わせだったので、一つひとつ戦っていって、気がつけば決勝だったという感じです。

 ただラッキーだったのは2月にヨピッヒ選手と試合をしていたし、5月にはそのシーズンはメチャクチャ調子がよかったサフィン選手とも試合をしていたことです。両方とも負けていたのですが、一回剣を交えたのでその選手がどういう選手なのかというのも分かっていて対策も立てやすかった。それは向こうも同じですけど、実力がない者からすると、相手がどういう選手かを知っているだけで違ってくると思います」

父はジュニアクラブを創設

16年4月の世界ジュニアで日本勢団体初優勝を飾った(左から)敷根、西藤、松山 【スポーツナビ】

 西藤の存在を知ったのは14年だった。4月の世界ジュニア(ブルガリア・プロヴディフ)で銅メダルを獲得し、同年10月のジュニアW杯バンコク大会で優勝したからだ。

 その後は男子フルーレがリオデジャネイロ五輪の団体戦出場権を取れるかどうかに関心が向いてジュニアへの意識は薄くなっていたが、16年4月の世界ジュニアで果たした団体戦日本初優勝のメンバーの中に西藤がいた。ただその時は17年の世界選手権で3位になった敷根崇裕(法政大)が個人戦で優勝し、松山恭助(早稲田大)が3位で彼は3〜4番手という状況だった。

 その存在を知った時、最初に感じたのは「長野県でフェンシングが?」という疑問だった。太田雄貴の登場で注目されるようになったフェンシングだが、現実的にはマイナー競技。長野県でも普及しているとは思ってもいなかった。だが西藤は「長野県出身でナショナルチームに入っている先輩も結構いるし、99年と03年の日本選手権エペで優勝した三澤高志さんも長野県出身で、そういう人たちが帰って来た時に教えてくれたりして、僕たちが出るようになってきたんです」と説明する。

 その拠点になっているのが、西藤が育った箕輪町だ。

 78年のやまびこ国体のフェンシング会場が箕輪町になったのが契機となり、隣接する伊那市も含めて中学や高校にフェンシング部ができ始め、その後にジュニアクラブも創設された。今ではエペのカデやジュニアの全国大会や、14歳以下のフルーレの全国大会も開催され、学校給食用に考案された“フェンシング丼”は、今では町の新しい名物になっているほどの、フェンシングのメッカのひとつになっている。

 そのジュニアクラブの創設者が西藤の父・繁さんだった。

 中学から競技を始めた繁さんは純粋にフェンシングが好きで、高校卒業後は家業の精密部品工場で働きながら競技を続けて国体にも出場していた。それでクラブを作ったが、西藤がいた頃は少し遠くから週末だけ練習をしに来る子も含めて40〜50名くらいが在籍していた。

「父は足を使うことを重視していてフットワークに対して時間を割くので、回りからも『長野県の選手はフットワークがいいね』と褒めてもらっていました。僕自身のフェンシングもフットワークがベースになっていて最大の武器でもあると思うから、小さい頃からそういう練習をしていたのが生きていると思います。ナショナルチームに入って先輩も3〜4人いたし、僕も三澤さんにコーチをしてもらっていたので『長野県でやっているから全国で勝てない』という気持ちは一切ありませんでした」

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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