連載:未来に輝け! ニッポンのアスリートたち
ビーチバレー二見梓が進む真っすぐな道 神奈川の海から目指す、東京五輪の表彰台
「ビーチバレーが面白くて、今は充実感しかない」
インドアからビーチバレーに転向した二見梓(右)。「ビーチバレーは自分に合っていて、面白い」 【Getty Images】
「ビーチバレーって、本当に面白いんですよ。私もちょっと時間があれば、他の人の試合をユーチューブで見たりするぐらいで。ビーチバレーのいい意味の自由さが自分に合っていて、すごく楽しい。今は、充実感しかないです」
中途半端にはできない。何事も真っすぐ、がむしゃらに突き進むのみ。今はただ、東京五輪の表彰台に立つ自分だけをイメージして、ひたすら前に歩き続けている。
「メグカナ」に憧れて、中学1年からバレーを始める
葉山、と地名を聞けば同じ神奈川県民でも、描くイメージはセレブで優雅。それ以外は見当たらない、と言っても過言ではないのだが、その場所で生まれ育った当の本人は、顔の前で手をブンブンと振りながら、大きく口を開けて豪快に笑う。
「全然違いますよ。無人の野菜販売所とかあるし、むしろ海と山と川のある田舎町なんです。確かにセレブな人たちも中にはいますけど、全員が全員じゃない。ただ、習い事で『バレーをやっています』という人よりは、圧倒的に『バレエをやっています』という人のほうが多かったですね」
バレーボールを始めたのは中学に入る頃。03年のワールドカップで栗原恵と大山加奈、「メグカナ」が一世風靡(ふうび)する姿をテレビで見て「私もやってみたい」と憧れた。低学年の頃からサッカーをやっていたこともあり、運動能力は高く、身長もある。入る前は3人しかいなかった中学のバレーボール部を、初心者ばかりの同級生たちとともに押し上げ、地区ブロックを制して県大会にも出場。3年時にはJOC杯(全国大会)の神奈川県選抜や、全日本中学生選抜にも選ばれた。
地元・神奈川の強豪で日本一を目指した高校時代
電車を乗り継いで練習に通った高校時代は「なかなか大変でしたね」と振り返る 【スポーツナビ】
充実した練習環境で、春高、インターハイなど全国大会出場経験も重ねたが、難点が一つ。何しろ、家から遠かった。
「最寄り駅から3路線を乗り継いで、Door to Doorで片道2時間かかりました。毎朝5時に家を出て、帰ってくるのは22時過ぎ。あらためて振り返ると、なかなか大変でしたね」
美少女選手として過剰に取り上げられたのも同じ頃。調子の良し悪しに関わらず、常にテレビカメラが密着し、チームの中心選手として取り上げられる。応援してくれる人ばかりでなく、陰口をたたかれることもあったし、時には常軌を逸したファンに待ち伏せされ、往復4時間の道のりを恐る恐る帰ったこともあった。