予想外しか起こらないダカールラリー 取材メモで振り返る9000キロの記憶
アルゼンチン編 加速する予想外
決して気を緩めない本田太一(写真右端)。ダカールラリーを中心に1年が回る 【写真:杉山友輝】
この日、決定的なダメージがホンダに降りかかる。
1位を走っていた選手以外が、すべてナビゲーションを誤ってしまう。原因は主催者の指示不足。一部の選手には通達された指示が、2位から10位までの選手には伝わっていなかった。そのため、トップから僅差の位置で逆転のチャンスを狙っていたホンダの選手は、全員30分以上のタイムロスとなった。
イコールコンディションでないことから、ホンダはチームとして抗議。
しかし、これまで基本的に抗議が受け入れられたことは、ほとんどない。ダカールラリーは、「自由・平等・博愛」を信条とするフランス人が主催している。しばしば、不思議な力が働いたり、首をかしげるようなアンフェアな事態が起きても「これがダカールラリーだから」と自分を納得させる。いや、納得させるしか方法がないのも事実だ。抗議文書は受理されたが、何の対処もされなかった。
1月17日 ステージ11(ベレン〜チレシト)
ホンダにとっての不運は続く。
ステージ7で膝を痛めていたバレダが、痛みのためリタイアを決断。バイクに乗ることも、降りることも、一人ではできない状態だった。2位のケビン・ベナバイズに望みをかける。
1月20日 最終日 ステージ14(コルドバ周回コース)
セレモニアルゴールの地、アルゼンチン第二の都市コルドバ中心地は大歓声に包まれていた。ダカールラリーは完走したもの全てが勝者と言われている。
ホンダはベナバイズが30分の差を16分にまで詰めて準優勝と、賞賛に値する成績を納めた。代役で走ったコルネホも10位という好成績で周囲を驚かせた。
しかし、ホンダには「勝利以外に意味は無い」との哲学がある。本田太一は「悔しいの一言です。でも今回の経験を生かして、われわれは引き続き正々堂々勝負し、徹底的に勝利します」と語った。
多くの言葉を口にするより、短い言葉だからこそ伝わる想いがあった。
TLCの三浦は総合で28位、さらに四輪市販車部門では1位となりTLC5連覇を達成。トヨタ車体の社員ドライバーとしては、初の優勝を飾った。
部門優勝を成し遂げた三浦。南米でも人気で、常に写真撮影をお願いされていた 【写真:杉山友輝】
夜の8時から始まったセレモニアルゴール。日野が登場したのは日付も変わって12時を回ってから。菅原義正のリタイアの対応に追われていた照仁だったが、冷静に自分の走りを繰り広げ、自身最高の総合6位でゴール。排気量10リットル未満クラスでも9連覇を成し遂げた。
父・義正のリタイアなど問題と向き合いつつの2週間、プレッシャーもあっただろう。ラリー中は決して白い歯を見せることはなかったが、ようやく笑顔となり「ホッとしました、本当に」。そう一言残すと、祝勝パレードへ向かっていった。
1月21日午前2時頃、2週間に渡る「ダカールラリー2018」は幕を下ろした。
エピローグ
高台から見つめる菅原義正。76歳とは思えない力強さ、信念がある。リタイア直後、次回大会への参戦を決意した 【写真:杉山友輝】
あと2日でゴールという日の夕方、キャンプ地の高台に菅原義正の姿があった。リタイア後はサポートトラックに登録変更し、チームを支えた。腕を組んで遠くを見つめる義正に声を掛けた。
「照仁が少し遅れていてね、もう帰ってくる頃なんだけれど。ここだと良く見えるでしょう」
そう言う菅原に私は「照仁さんならば大丈夫でしょう。問題なく帰ってきますよ」。
菅原は私の方を向くと、静かに言った。
「杉山さん、私はゴール10キロ前でリタイアする選手を何人も見てきた。このダカールラリーに絶対は無いんですよ。事実、私だって皆さん今回も完走するだろうと予想していたけれど、2日目であっけなくリタイアとなった。予想外のことしか起こらない、それがダカールラリーなんですよ」
そして嬉しそうにこう続けた。
「私は今回リタイアした。でも、それで見えてきたことや課題がたくさんあります。選手で走っているだけではわからない多くのことを、知ることができました。こんな『学び』ができるのもダカールラリーだからこそだと感じています。今から来年の準備で、大忙しですよ」
菅原が見つめていた先は照仁だけでなく、ダカールラリー2019年大会だったのかもしれない。
予想外のことしか起こらない。
しかしそれを糧にして、教訓にして、準備をして、さらなる予想外を乗り越える。19年のダカールラリーは、もう始まっている。
(文中敬称略)