“愛媛でもできる”青年監督が描く夢 「母校を超えるようなラグビーを」
選手として高校日本一、指導者としても花園へ
東海大仰星高時代に選手として全国優勝し、今は松山聖陵高を率いる渡辺監督 【斉藤健仁】
「西高東低」、「私立優勢」の高校ラグビー界では、大学同様に、同じ高校に20年、30年と指導する監督もおり、出場全51校の監督の平均年齢は約45歳、平均すると10年以上、ひとつの高校で指導し続けていた。そんな中、20代の監督はたった2人のみ。そのうちの1人が現在29歳、監督として6年目を迎えている松山聖陵(愛媛)の渡辺悠太監督である。
大学時代の大ケガでトップリーグを断念
高校時代からラグビーへの熱い思いを評価されていた渡辺監督(中央) 【斉藤健仁】
「すごくハートの強いタイプの選手で、WTBとして外から徹底的に指示していました。ラグビーに対する造詣も深いし情熱的でしたね!」(湯浅監督)
渡辺監督は東海大に進学した後もラグビーを続け、FLリーチ マイケル、PR三上正貴、WTB/FB豊島翔平ら(いずれも東芝)といった同期と切磋琢磨しつつ、大学選手権優勝を目指した。ただ4年春の練習試合で左膝の前十字じん帯を切ってしまう大ケガをし、選手としての夢をあきらめざるを得なかった。「本当はラグビーを(トップリーグで)続けたかったのですが、身体も小さかったので、なかなか厳しいものがありました」(渡辺監督)
「スキルじゃない部分も教員は教えないといけない」
渡辺監督の指導を受けた松山聖陵の選手たちが花園を走り回った 【斉藤健仁】
ただ、最初はトップリーグや日本代表で活躍する高校や大学の先輩や同期の姿を見て「うらやましかった」と振り返る。
恩師のひとりである湯浅監督には「ナベ(渡辺監督)、3年我慢したら、自分の選んだ道が正しかったと思える」と言われ、また強豪のひとつである御所実業の竹田寛行監督には「(全国でトップレベルになるには)20年、我慢しないといけない」と諭されたという。
実際に3年間、松山聖陵でラグビーを指導すると、渡辺監督は「めちゃくちゃ楽しい!」と思えるようになっていた。「若い考えだと思いますが、僕より選手として経験が少ない先生たちが、どうしてすごいチームを作るのか不思議でしょうがなかったんです。スキルじゃない部分も教員は教えないといけないし、私生活や規律の部分を大事にしていたらやっぱり丁寧なラグビーになってくる。考えながら指導する楽しみと、僕を信じてきてくれる生徒にいい思いをさせてあげたいという気持ちが芽生え始めた」