ブラサカ川村怜が3年後に描く青写真 ブラジルを倒して東京で世界一へ
ブラサカ選手にとっての走る時に必要な器官は?
ブラインドサッカー日本代表主将の川村怜。東京へ向けての今に迫った 【写真:宮崎恵理】
見ることが情報獲得の手段にはならない視覚障がい者が“走る”時に不可欠な器官は何か。聴覚とともに、ブラインドサッカー日本代表主将の川村怜にとって、それは“足”である。足はサーチする器官なのだ。
筑波技術大学に進学してブラインドサッカー(ブラサカ)に出会った川村は、初めてアイマスクを装着した時のことをよく覚えている。恐怖心で立ちすくんだのだった。
「文字通り、一歩も動けない。どっちを向いているのか、どう動いたらいいのか分からない」
空間認知。
その感覚を研ぎ澄ませることで、川村は一歩も動けないところから、日本のトップ選手に昇りつめた。
ブラサカは、フットサルコートと同じ大きさのピッチ、ボールを使用して行われる視覚障がい者のサッカーだ。ボールは転がすと「シャカシャカ」という音がする。4人のフィールドプレーヤーは全盲の視覚障がい者、ゴールキーパーは晴眼者や弱視者といった視覚がある人が担う。ゴールキーパー、相手ゴールの裏にいるガイド、そして監督が試合中にボールや相手選手の位置、動きについて、声で選手に情報を伝える。フィールドプレーヤーはアイマスクを着用した状態で、ボールの音や味方の声を聞き分けてプレーする。
2004年のアテネパラリンピックから正式種目となり、16年のリオデジャネイロ大会までブラジルが4連覇を達成。日本はパラリンピックの出場経験がない。
衝撃的だったブラサカとの出会い
川村にとって足はサーチする器官。最初は何もできないところから、空間認知能力を磨いて、日本代表選手まで登りつめた 【写真:宮崎恵理】
サッカーを始めたのは小学1年の時。自宅近所のクラブチームに通った。
「自分でドリブルしてシュートまで運ぶのは難しかったですが、それでも得点を決めるということが何より楽しかった」
進学した中学がサッカー強豪校だったこともあり、続けることが難しくなる。そのため、中学、高校では1人でトラックを走る陸上競技に専念した。
視覚障がい者の専門学部がある筑波技術大学に進学すると、ブラサカというスポーツがあることを知る。
「アイマスクをつけた選手が、全速力でボールを蹴っている。もう、衝撃でした」
ブラサカで、再び、サッカーに挑戦できる。迷わず始めたのだった。
「まずは音を聞き分けることから始めました」
あらゆる音がどの方向から聞こえるか、どのくらい離れているのか。音で位置を確認し、少しずつ動く範囲を広げていく。
「でも、実際にピッチの中でプレーするためには、どれだけボールに触ったかがすごく重要なんです」
川村は、チームの練習とは別に、1人体育館の壁を相手にボールを投げてはトラップし、シュートする練習を黙々と続けた。
「ボールコントロールに余裕が生まれると、周りの音がしっかり拾えるようになる。そうしてやっと、ボールの音、GK、ガイド、コーチの3カ所からの声、相手の気配を立体的に処理できるようになっていったんですね」