メッシ、ついに母国で崇拝される存在に 極限状態で見せた最高のパフォーマンス

選手たちを襲った予選敗退の重圧

アルゼンチンは最終節でW杯本大会行きを決めた 【写真:ロイター/アフロ】

 これでようやく、アルゼンチン代表とFIFA(国際サッカー連盟)は安心して眠りにつくことができる。世界最高のプレーヤーであるリオネル・メッシのワールドカップ(W杯)出場が消滅することなく、フットボール界におけるあらゆる夢とマーケティング事業が保証されることになったからだ。

 今回のW杯南米予選における“アルビセレステ”(「白と空色」の意。アルゼンチン代表の愛称)の歩みは困難を極め、メッシの本大会出場は深刻な危機にさらされた。結果、内容ともに散々な試合を繰り返した末、最終節を迎える時点ではダイレクトに出場権を得られる4位以内はおろか、オセアニア1位のニュージーランドとの大陸間プレーオフにも回れない6位に位置していた。

 メッシがいたにもかかわらず、第16節でアルゼンチンは、既に敗退が決まり多数の主力選手が不在だったベネズエラにすら、ホームで勝つことができなかった。スコアレスドローに終わったペルーとの第17節もそうだ。この試合に向けてはアルゼンチンフットボール協会(AFA)がリーベル・プレートの本拠地エル・モヌメンタルからボカ・ジュニオルスのラ・ボンボネーラに会場を変更。冷めた雰囲気になりがちな前者と比べ、スタンドとピッチの距離が近く、相手チームにかかる圧力が大きい後者にプラスアルファの効果を期待し、必勝を期した。

 しかし、ピッチに現れた選手たちは極端にナーバスなプレーに終始し、本来の力を半分も出すことができなかった。攻撃陣に多くのタレントを擁し、2014年のW杯、15、16年のコパ・アメリカ(南米選手権)でいずれも準優勝に終わったチームが予選敗退に終わるかもしれないという重圧は、それほどに大きかったのである。

最終節での逆転劇

1試合を残して何とか自力で出場権を手にできる希望がつながったが…… 【写真:ロイター/アフロ】

 今予選のアルゼンチンは、誰もが予想しなかった数字も残した。メッシに加えてマウロ・イカルディ、セルヒオ・アグエロ、ゴンサロ・イグアイン、パウロ・ディバラ、そしてアルゼンチンリーグ得点王のダリオ・ベネデットら多数の優秀なストライカーを擁しているにもかかわらず、第17節終了時点で10チーム中2番目に少ない16ゴールしか決めていなかったのだ。

 AFAが違約金を払ってセビージャから引き抜き、ラスト4節の指揮を託したホルヘ・サンパオリも、状況を好転させることはできなかった。本人は選手たちを信頼し、最終的には予選突破を達成できると繰り返し主張していたものの、落ち着きなくテクニカルエリアを右往左往する様子からは、試合を重ねるごとに焦りを募らせていることがうかがえた。

 だが、1試合を残してペルーとの引き分けが決まり、誰もが失望に包まれていた矢先、思わぬ朗報が舞い込んだ。コロンビアとのアウェー戦に臨んでいたパラグアイが終了間際に勝ち越したことで、自力で出場権を手にできる希望が奇跡的につながったのだ。

 キトでエクアドルと対戦する最終節に勝てば、少なくとも大陸間プレーオフには回ることができる。しかも他会場の結果次第では、4位以内に滑り込む可能性も出てきた。結局、その最終節では、アルゼンチンを勝ち点1上回っていたチリがブラジルに敗れ、同勝ち点だったペルーはコロンビアと引き分けた。そしてアルゼンチンは3−1でエクアドルを下し、最終的に3位で本大会への切符を手にしたのだった。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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