1995年 テレビ業界から見たブームの陰り シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

22年前の新聞から見える「Jリーグブームの凋落」

95年はJリーグが民放のゴールデンタイムで中継されていたし、大物選手も相次いで来日したが、「ブームの凋落傾向が始まった年」としても記憶されている 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 今回は、古い新聞記事の引用から始めることにしたい。見出しは「Jリーグ3年目 前期のTV放送日程決まる 実質的中継数は減 各局及び腰」。今から22年前、1995年の2月20日の東京新聞夕刊の記事だ。

 リード文を読んでみよう。「Jリーグ前期のテレビの中継日程が決まった。ブームにわいた一昨年に比べ、このところの逆風もあって及び腰の姿勢が全体的に目立つ。今年は、Jリーグ中継を茶の間に定着させるための正念場になりそうだ」とある。記事によれば、この前期(3月18日〜7月22日)は民放・NHK合わせて21試合が、すべてゴールデンで中継されることが決まっていた。中継試合数そのものは、前年後期と同じだが、チーム数が2つ増えていること(この年からセレッソ大阪と柏レイソルが昇格)を考慮すれば「実質的な中継数は減った勘定になる」としている。

 記事の中で、当時のNTV(日本テレビ放送網)のしかるべき人物がコメントを寄せている。日本テレビはこの年から水曜の試合は中継しない方針を打ち出したが、その理由について「残念ながら、一昨年から昨年の間に、Jリーグ中継の商品価値は、かなり落ちたと言わざるを得ない」。さらに、当時のJリーグの現状について「一時の熱が冷めて、視聴者が冷静に試合を見るようになった。ある意味では今の数字が正常」という手厳しい見解も示している。ちなみにコメントの主は坂田信久スポーツ局次長。のちにヴェルディ川崎(当時)の社長に就任し、同クラブの東京移転に尽力する人物である。

「Jリーグ25周年」を、当事者たちの証言に基づきながら振り返る当連載。第3回の今回は、95年(平成7年)をピックアップする。「戦後50年」という大きな節目となったこの年は、阪神淡路大震災(1月17日)とオウム真理教による地下鉄サリン事件(3月20日)が立て続けに起こっており、わが国の大きな転換期でもあった。その時代のうねりは、Jリーグも決して無縁でなかったように思えてならない。

 95年のJリーグといえば、試合は民放のゴールデンタイムで中継されていたし、ジョルジーニョ(鹿島アントラーズ)やドゥンガ(ジュビロ磐田)といった大物選手も相次いで来日。だがそれ以上に、この年は「ブームの凋落(ちょうらく)傾向が始まった年」としても記憶されている。その傾向に早くから敏感に反応していたのが、視聴率を何よりも重視する民放キー局であった。今回は開幕3年目で迎えたJリーグブームの陰りについて、当時テレビ業界の最前線で活躍していた人々の証言を交えながら探ってみることにしたい。

「日本サッカー冬の時代を支えた」テレビ東京の場合

『ダイヤモンドサッカー』のロゴ入りパーカー。葉梨忠男はサッカーの仕事がしたくて、テレビ東京に入社したという 【宇都宮徹壱】

「もともとテレビ業界に入りたいというより、むしろサッカーの仕事がしたかったんです。でも当時、日本のサッカーはアマチュアだったから『サッカーの仕事』といっても選択肢はなかったんですよね。だったら、あの『ダイヤモンドサッカー』をやっているテレビ東京しかない(笑)。だから役員面接でも、サッカーの話ばかりしていました」

 現在、東京ヴェルディのパートナー営業部と普及部を兼務する葉梨忠男が、テレビ東京に入社したのは85年のことであった。最初に配属されたのは営業部。当時のテレビ東京には、営業が企画を立てて、スポンサーを集めて番組を成立させるというシステムがあった。加えて『三菱ダイヤモンドサッカー』という看板番組があり、他局に比べてサッカー番組に対する上層部の理解もあった。「サッカーの仕事がしたかった」葉梨にとり、まさに理想的な職場環境だったといえよう。ちなみに、開幕したばかりのJリーグにも「日本サッカー冬の時代を支えた」テレビ東京に対して、一定以上のリスペクトがあったと葉梨は考える。

「93年の鹿島とヴェルディのCS(チャンピオンシップ)は、ウチとNHKが中継したんですけれど、この2局は絶対に外せないというのが、川淵(三郎=当時チェアマン)さんたちの認識だったと思います。日本リーグ時代から中継をやっていたのはウチとNHKくらいでしたから、Jリーグ側も義理を感じていたんでしょうね」

 その一方でテレビ東京は「Jリーグを広く、分かりやすく伝えよう」という思いから『ダイヤモンドサッカー』を復活させている。海外の試合を2週に分けて放映していた、第1期『ダイヤモンドサッカー』は68年から88年まで放映されていたが、第2期はJリーグ開幕直前の93年4月にスタート。同年、テレビ朝日の『Jリーグ A GOGO!!』やTBSの『スーパーサッカー』など、民放各局も相次いでJリーグ情報番組を制作しているが、サッカーの番組制作ではテレビ東京に一日の長があった。それは、葉梨のこの証言からもうかがえる。

「あの当時、他局のスポーツ局の連中と横のつながりができていて、よく一緒に飯を食いにいったりしていたんです。『テレ東はいいよね。好きなようにサッカー番組を作ることができて』なんて、よくうらやましがられましたね。他の局だとサッカー番組と言いながらも、会社事情でバラエティー要素を盛り込まないと、という雰囲気があった。でも、テレ東にはそれがない。内心、じくじたる思いだった人もいたでしょうね。Jリーグが開幕して『サッカーを文化にするチャンス』と、みんな考えていたでしょうから」

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著者プロフィール

宇都宮徹壱

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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