メッシとネイマール、異なる代表での姿 アルゼンチンはW杯出場を逃す可能性も

対照的な状況にあるバルセロナの2人

代表チームに合流するたび、メッシ(左)とネイマールは異なる思いを抱いてクラブに戻る 【写真:ロイター/アフロ】

 リオネル・メッシとネイマールは毎週末、バルセロナのファン、ひいてはフットボールを愛する世界中の人々に向けて、偉大なるスペクタクルを提供している。

 だが2人は随分と前から、それぞれの代表チームに合流するたび、異なる思いを抱いてバルセロナへ戻って来るようになった。ブラジル代表でトップパフォーマンスを発揮できるようになったネイマールとは対照的に、メッシは問題山積みのアルゼンチン代表をけん引するために、苦難の連続を味わっているからだ。

 2014年のワールドカップ(W杯)ブラジル大会、準々決勝コロンビア戦で背中を負傷し、ドイツとの準決勝(1−7)、オランダとの3位決定戦(0−3)を欠場したことでブラジル惨敗の戦犯の1人とみなされたネイマールは、3月23日(現地時間)と28日に行われたW杯南米予選を2連勝で終えたことにより、世界最速で18年W杯ロシア大会への出場を決めた。

 一方、アルゼンチンはボリビアとのアウェー戦(0−2)で敗れたことにより、大陸間プレーオフに回らなければならない5位に順位を落とした。さらにはレフェリーへの暴言によりメッシが4試合の出場停止処分を科されたことで、W杯本大会への出場権を逃す危険性は、いよいよ現実のものとなってきている。

チッチの就任後、流れが一変したブラジル

チッチ就任以降のブラジルは、南米予選を8連勝で勝ち抜け、世界最速で本大会出場を決めた 【Getty Images】

 ネイマールも少し前まではメッシと同様に困難な状況に置かれていた。特にW杯でドイツに大敗した後は、チームとともにメディアとファンからすさまじい批判を受けた。あの大敗は“マラカナンの悲劇”(引き分けでも初タイトルを獲得することができた1950年W杯ブラジル大会の決勝でウルグアイに1−2で敗れた)を上回る、ブラジル史上最悪の敗戦として人々の記憶に刻まれている。

 W杯終了後にはルイス・フェリペ・スコラーリ監督が辞任したものの、それくらいでは国民の怒りは収まらなかった。しかも後を継いだドゥンガはブラジルのファンが好むスタイルとは程遠い、戦術的規律を重んじる前任者に似た監督だった。そのため南米予選の序盤で取りこぼしが続いたことで、ドゥンガはすぐに見切りをつけられることになった。

 コリンチャンスを率いてコパ・リベルタドーレスと12年のクラブW杯を制した経験を持つチッチは、そのような状況下でドゥンガの後任に就くや否や、苦戦続きだった南米予選の流れを一変させた。チッチはW杯の大敗を境に招集されなくなっていたチアゴ・シウバらを呼び戻すとともに、コリンチャンス時代に指導したパウリーニョ、彼と同じく中国リーグでプレーするレナト・アウグストらをセレソンの主力に据えた。何よりフィリペ・コウチーニョやロベルト・フィルミーノ、ガブリエル・ジェズスといった若いアタッカーたちにプレースペースを与えたことが大きかった。

 その結果、ブラジルはチッチ就任以降の南米予選を8連勝で駆け抜け、一番乗りで本大会出場を決めた。並行して確固たる自信を身に付けことで、プレー内容も試合を重ねるごとに向上。中でもとりわけ大きな輝きを放つようになったのがネイマールだ。現在はキャプテンマークを巻いていることもあり、その振る舞いには貫禄すら感じられるようになった。

 とはいえブラジルの変化を語る上では、長年の悲願だった史上初の金メダルを獲得した16年のリオデジャネイロ五輪についても触れなければならない。ネイマールは同大会の主役として活躍しただけでなく、PK戦にもつれ込んだ決勝で母国の勝利を決めるPKを決めている。

 これらの出来事を経て成長を遂げたネイマールは、もはやモンテビデオのエスタディオ・センテナリオ(ウルグアイの首都モンテビデオにあるスタジアム)のような困難極まりない舞台ですら、圧倒的な存在感を放つ選手になった。ブラジルが4−1で制したウルグアイとのアウェー戦において、バルセロナのクラック(名手の意)はファウルでしか止めようがないほどキレていた。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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