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選考会の“ネガティブスプリット”も試したい
山下佐知子監督が考える女子マラソン再興
日本陸連の女子マラソンオリンピック強化コーチに就任した山下佐知子監督に話を聞いた
日本陸連の女子マラソンオリンピック強化コーチに就任した山下佐知子監督に話を聞いた【スポーツナビ】

 日本陸上競技連盟が11月2日に発表した強化委員会新組織体制で、メダルターゲットとされた男女マラソン。その長距離・マラソン強化戦略プロジェクトのナショナルチームの女子マラソン、オリンピック強化コーチに第一生命グループの山下佐知子監督が就任した。


 今回はその山下監督に、全日本実業団女子駅伝翌日の11月28日に話を聞いた。

前半リラックスし後半上げるレースも大事

選考レースで前半を抑えて、後半にタイムを上げる“ネガティブスプリット”も試してみたいと話す
選考レースで前半を抑えて、後半にタイムを上げる“ネガティブスプリット”も試してみたいと話す【スポーツナビ】

 リオデジャネイロ五輪の結果に関しては、期待に応えたかどうかは別として、自己記録や世界ランキングから見たら、男子の佐々木悟選手(旭化成)の16位というのは健闘したのではないでしょうか。


 それに対して女子の場合は、福士加代子さん(ワコール)やうちの田中智美(第一生命グループ)の自己ベストのランキングが入賞圏内だったこともあり、力を出し切れていないと言わざるを得ません。


 その中で感じたのは、毎年のように世界のマラソンレースでは2時間19分台、20分台が出ていますが、一方でペースメーカー不在の五輪や世界選手権ではそういう記録で勝負が決まる事はこれまでのところほぼ無いです。唯一の例外が現世界記録保持者のポーラ・ラドクリフ選手が2時間20分57秒で優勝した2005年のヘルシンキ世界陸上です。その時以外に五輪、世界陸上で2時間23分を切った選手はいません。


 そういった分析をしていくと五輪や世界選手権で勝負する為には、今後はこれまでとは違う準備も必要なのではと思います。


 ロンドン五輪以降リオに向けて、国内の選考会では派遣設定記録(2時間22分30)を目標にペースメーカーを置いてハーフを1時間11分台で通過する事が求められました。ところが、実際のレースで言うと、今回のリオでもハーフは1時間12分56秒で通過。それに対して、後半は1時間11分台に上がるレースとなっていました。これまでの五輪や世界選手権でも、前半のハーフで1時間12分を切っているのは前述のヘルシンキ大会だけです。特に暑熱下のアジアで行われた北京五輪(08年)、テグ世界陸上(11年)、北京世界陸上(15年)では、ともにハーフ通過は1時間15分〜16分台で後半にグンとスピードが上がるレース展開でした。相当な蒸し暑さが予想される2020年の東京五輪でも前半はスローで後半サバイバルの傾向が強まるのではないでしょうか。


 もちろん、マラソンの後半で勝負するには高いレベルのスタミナもスピードも要求されるので、2時間20分前後の力を持っている選手と勝負するにはもちろん同等の記録を目指す事は大前提です。ですから記録の向上を目指して前半から速いペースで行こうとするのを否定しているのではなく、前半をもう少しリラックスして入り後半に集中するという戦術も磨く必要があるのではないかと言う事です。


 五輪前にはうちの田中も後半を上げるような練習はやりましたし、福士さんもやっていたと聞いています。でも練習と試合では違うので、選考レースの中で“ネガティブスプリット”(前半より後半のタイムを上げる)を刻み、本番に近いレース展開で勝負するという事も試す価値はあると思います。


 日本の選考レースはペースメーカーがついていて、それについていかないと「消極的」と言われてしまいます。だけど、日本人がペースメーカーについて走って後半失速しているところを、前半はペースメーカーについていなかった外国人選手が後ろからスーッと抜いていくことも多いですね。


 12年の名古屋ウィメンズマラソンで尾崎好美(第一生命グループ)が中里麗美さん(ニトリ)と競りあってロンドン五輪代表を決めたレースでも、後ろから来たアルビナ・マヨロワ選手(ロシア)に抜かれて負けた時は、なんか「フゥ〜」という気持ちになりました。その点では積極性や記録を狙うという視点はもちろんあっていいのですが、選考レースの中に後半を上げて勝負するという“ネガティブスプリット”という視点も置く必要があると思います。

ハーフマラソンの強化、安定して2時間25分で走る

日本選手より順位の良かった米国選手は持ちタイム的には日本より下だった。本番で安定した走りができることも重要
日本選手より順位の良かった米国選手は持ちタイム的には日本より下だった。本番で安定した走りができることも重要【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 それともうひとつ考えさせられたのは、リオではシャレーン・フラガナン選手が6位になり、デジーレ・リンデン選手が7位、エイミー・クラッグ選手が9位と米国人選手が活躍したことです。


 持ちタイムを見ればフラガナン選手は速い(2時間21分14秒)のですが、他の2人は日本人より遅いくらい(リンデンが2時間25分55秒、クラッグが2時間27分03秒)です。ただ5000メートルは15分10秒くらいの持ちタイムがあるのですが、日本人も目指せる範囲だと思います。5000メートルで15分10〜20秒のスピードを持っている、あるいはペースメーカーがいてもいなくても同じように走れる。更に暑い中でも力が発揮できるなどの長所があれば、2時間25分前後で安定して走る事を目指しても良いと思います。ペースメーカー不在、暑熱下という条件がそろったレースであれば絶対にワンチャンスがあります。


 そういう考えに偏って全体的な記録の低迷につながってはいけないのですが、東京五輪まで4年弱ということを考えると、ペースメーカーにつけば良いレースだというのではなく、選手が自分で判断してペース配分をしたり、勝負勘を磨く事を重視していきたいと思います。


 東京五輪を見据えて今年、来年あたりは、ハーフマラソンで1時間7分、8分台を出すようなスピードの強化をすることも大事ですし、すでにマラソンデビューをしている選手には2時間25分台を何度も出せるような安定感を付けることを目標にするなど、もっと個人の特性に応じて多様性を持って準備していきたいです。

折山淑美
1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。