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福士加代子、自分らしさ貫きリオ代表へ
鍵は「内臓強化」と「スピード練習」

33歳で迎えた「最後の挑戦」

大阪国際女子マラソンを制した福士加代子(左)。マラソンでの五輪切符に大きく前進した。右は永山忠幸監督
大阪国際女子マラソンを制した福士加代子(左)。マラソンでの五輪切符に大きく前進した。右は永山忠幸監督【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 スタート前も、独走態勢に入ってからも、福士加代子(ワコール)は「不安だった」という。1月31日、リオデジャネイロ五輪女子代表選考会を兼ねて行われた大阪国際女子マラソン。しっかり走れるか。失速はしないか。

 

「自分に『行け、行け』『お願い』と言いながら走っていた」


 決して自信がなかった訳ではないだろう。このレースに懸ける思い、絶対に失敗できないという緊張感、それらが強烈すぎたからこその「不安」だったのではないか。


 マラソンでの五輪挑戦は2008年北京、12年ロンドンに続き、これが3回目だった。過去2回は失敗に終わっている。


 現在、33歳。かつて、これほど年齢を重ねて五輪の女子マラソン日本代表に選ばれた選手はいない。福士はリオへの道を「最後の挑戦」と位置付けていた。

“トラックの女王”もマラソンでは苦戦

 レースは、日本陸上競技連盟の設定記録(2時間22分30秒)を見据えてスタートした。突破すれば代表選考で優位になるタイムである。3大会ぶりに準備されたペースメーカーは5キロを16分40秒のハイペースで集団を引っ張っていく。すると、優勝争いに加わると見られていたロンドン五輪代表の重友梨佐(天満屋)、26歳の新鋭・竹中理沙(資生堂)と先頭集団に付けていた日本選手が次々と振るい落とされ、ケニア人のカプチッチ・セリー・チェピエゴ(九電工)も24キロ付近で遅れ始めた。ペースメーカーが外れる30キロ付近を前にして、すでに福士は一人旅になっていた。


 05年に5000メートルの日本記録(14分53秒22)を樹立し、五輪にも04年アテネから3大会連続でトラック種目で出場した福士。だが、抜群のスピードを誇る“トラックの女王”もマラソンでは苦汁をなめてきた。

08年の大阪国際では、転倒を繰り返すも何とかゴール。ほろ苦いマラソンデビューだった
08年の大阪国際では、転倒を繰り返すも何とかゴール。ほろ苦いマラソンデビューだった【写真:アフロスポーツ】

 初めてマラソンに挑戦した08年の大阪国際は後半に失速した。ふらふらになり、何度も転倒しながら2時間40分以上かかって19位でゴールにたどり着いた。ロンドン五輪選考会だった12年大阪国際も8位と不本意な結果に終わっている。


「12年は一番練習できたと思っていたのに負けた」とは所属先の永山忠幸監督。「敗因は食べられなかったこと。プレッシャーで最後の方は食事がとれなかった」


 ここから、栄養士とマンツーマンで福士の「内臓強化」が始まった。白米は1回の食事で500グラム以上、食後にはイモも食べる。1時間弱かけて、ゆっくりとお腹に食べ物を詰め込んでいく福士の傍らで、永山監督やスタッフも同じように増量した食事をとった。「自分たちだけ軽食という訳にいかないでしょう。食事の回数は3回だけど、量は当初の3倍くらいに増えた」という。

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