清水咲子、周りへの感謝を胸に世界水泳へ 母の一言で奮起、ライバルを追い才能開花

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水泳の世界選手権に出場する清水咲子に自身のキャリアと世界選手権への思いを語ってもらった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 ロシア・カザンで開幕する世界水泳選手権(競泳は8月2日〜9日開催)の競泳日本代表選手は25名。女子は12名で、日本水泳連盟が定めた派遣標準記録を突破したのはそのうち4名しかいない。その一人が女子個人メドレーの清水咲子(ミキハウス)だ。4月に行われた日本選手権では、400メートル個人メドレーで4分36秒12と自己ベストを更新して連覇を達成。初の世界選手権代表の座をつかむとともに、大学の同期である高橋美帆(ミキハウス)が持つ日本記録(4分35秒69)更新も視野に入ってきた。

 彼女は同郷の萩野公介(東洋大)と同じ作新学院高の出身で、みゆきがはらスイミングスクール(SS)でも前田覚(さとる)コーチのもと約5年間一緒に練習していた。ただ、当時から学童新記録を出すなど大器の片鱗を見せていた萩野とは異なり、中学以降は勝てない日々が続き、高校では水泳を続けることすら一度は悩んだという。そこから清水はどのように現在の強さを身に付けたのか。本人にそのルーツと、世界選手権への思いを語ってもらった。

水泳だけは嫌と思うことがなかった

 清水が水泳を始めたのは4歳のとき。両親はやらせるつもりはなかったものの、先に始めていた兄を見て、自らやりたいと言ったのがきっかけだ。めきめきと実力をつけ、1年後には既に選手コースに移り、大会にも出場していた。選手コースに移る時に、両親は反対したが、「(のちに両親から)『自分でやりたいと言ったから通わせたんだよ』って言われました」と、最終的には本人の意思を尊重してくれた。

 水泳以外にも習い事としてピアノや英会話、そろばんなども始めたものの、一番優先し、長く続いたのが水泳だった。他の習い事は続けるのが苦痛だったが、水泳だけは嫌と思うことがなかった。

「友達がいてすごく楽しいのもありましたし、分からないですけれど没頭していました。小さいながら、そのときは達成感を味わっていたと思います」

中高では成績が伸び悩む

高校時代までは記録が伸び悩むも、母親の言葉に奮起して練習に取り組んだ 【スポーツナビ】

 中学2年から地元のスクールを離れ、少し離れたみゆきがはらSSに通い始めた。元々は平泳ぎを専門にしていたが、飽き性な彼女は平泳ぎの練習だけを続けるのを嫌がった。前田コーチに「それならば」とその時に勧められたのが、個人メドレーへの転向だ。

「前田先生に『平泳ぎの練習ばかりやるのは無理です』と言ったら、じゃあ個人メドレーでやっていいと言われました。そして個人メドレーをやっていたら、けっこういいねということになり、そのまま個人メドレーにした感じです」

 しかし、個人メドレー転向後も、なかなか結果が出なかった。とりあえず高校までは続ける道を選んだものの、楽しかったはずの水泳を「辞めようかな」という思いを抱えていた。それでも、水泳を続けさせてくれる両親への感謝があり決断には至らなかった。

「高校1年の時に、遊ぶことが楽しくなってしまって、練習などに遅れることが多くなり、結果が出ないのが当たり前になっていました。そんな時に母親から、『咲子のタイムが出ないのは、お母さんも悲しい』と言われたことで、私一人の水泳ではないことに気付きました。辞めようと思うこと自体が恥ずかしくなりましたし、まだ何も返せていないと思い、高校時代はそれがきっかけで頑張りはじめました」

 そして高校3年の全国高校総体(インターハイ)400メートル個人メドレーで転機となる初めての優勝を経験する。清水は「(母親の)その一言を忘れることなく、練習を積み重ねたことで、インターハイ優勝がついてきたという感じでした」と、勝因を振り返っている。

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