清水咲子、周りへの感謝を胸に世界水泳へ 母の一言で奮起、ライバルを追い才能開花

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直感を信じて選んだ日本体育大で得たもの

日本体育大では同級生の高橋美帆(左)と競いながら自己ベストを次々に更新した 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 インターハイの優勝は、彼女の進路に多くの選択肢をもたらした。いくつかの大学から誘いが来るなか、最終的には日本体育大を選んだ。

「当時はインターハイ優勝でちやほやされていたときだったので、自分が一番の大学に行ったらダメだと思いました。ちやほやされると間違っていることでも、指摘してくれる人がいないと思ったからです。それで自分より強い人しかいない日本体育大にしました」

 現在も師事する藤森善弘コーチの「ここで伸びなかったらどこでも伸びない」という言葉に背中を押され、自分の直感を信じた。そして、その感覚は間違っていなかった。同級生に高校2年でインターハイ、国体の2冠を達成し「ライバルというより目標のような存在」という高橋がおり、清水は彼女についていくため必死で練習した。結果として大学時代には記録が伸び続け、自己ベストを次々と更新することができた。日本体育大での充実した日々について、清水はこう語っている。

「自分の考えが甘くて逃げたい、辞めたい、練習に行きたくないと思うことはありました。でもそんなのは一日で忘れてしまっていた。今振り返って、生まれ変わってももう一度ここ(日本体育大)に来たいと思います」

 今年度から所属しているミキハウスを選んだのも、学生時代の環境をほとんど変えずにやれることが決め手になっている。4月以降の練習場所は日本体育大のまま、競技に専念できる環境に「選択にミスはなかった」と胸を張る。

「可能性がある限りやりたい」

世界選手権では周りの人への感謝を胸に、日本記録更新に挑む 【スポーツナビ】

 今の清水が最大の目標に掲げるのが、リオデジャネイロ五輪出場だ。幼い頃の清水にとって、五輪は「手の届かない世界」だったが、大学3年時に日本選手権で3位に入るなど記録や結果が伴うようになったことで、「自分が出場できそうな位置に来た」と感じるようになったと言う。五輪とは、本気で「行きたい」と思う目指すべき舞台に変わったのだ。

「ここまで来たら可能性がある限りやりたいと思います。自分の可能性を感じるようになってから、リオデジャネイロ五輪も、それが終わった4年後(東京五輪)にも可能性があると思うようになったので、そこも見据えるようになりました」

 プール外での努力も怠らない。海外レースに備えて英会話に通うなど、自分に必要なことを常に考えて実践している。一流選手としての振る舞いを身に付けるために、サッカー日本代表・本田圭佑のインタビューを参考にしているという。

 今の清水を支える原動力は感謝の気持ちだ。インタビューの際、必ずと言っていいほど、周りの人への感謝を口にする。それは「結果を残したとき、自然とその思いが湧き上がるから。心が折れそうになったとき、周りの支えてくれる人のことを考えると、いつもより少し頑張れる気がする」というのがその理由だ。

「自分のことを支えてくれる方がたくさんいるので、その方々に感動を与えることができるようなレースを目指して頑張ります」

 清水はこの夏の世界選手権でも感謝の気持ちを忘れずに、自身の可能性を信じて目標とする日本記録更新に挑む。カザンでどのような結果が待っているのだろうか。

(取材・文:豊田真大/スポーツナビ)

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