田中陽子と猶本光をつくり上げたもの=ヤングなでしこの二枚看板が歩んだ道
14歳でW杯を経験
田中陽子(左)は14歳で経験したW杯での悔しさを糧に大きく成長した。一流選手への階段を着実に上っている 【写真は共同】
U−20女子ワールドカップ(W杯)では、準々決勝まで4試合連続となる5ゴールを決めている。左右両足から繰り出される、シチュエーションに合わせたさまざまなキックの精度や、試合ごとに変わるポジションにも適応できる器用さに、日々評価は高まるばかりだ。
田中は母親の勧めもあって、FCレオーネ(現・レオーネ山口)でサッカーを始めた。中学入学と同時にJFAアカデミー福島の第一期生として入校し、エリートプログラムで学んだ。レオーネもアカデミーも個の育成に重点を置くチームであったことから、「自分に何が必要か」をいつも考えることは、彼女の習慣になっていた。
初めて国際舞台に立ったのは、2008年のU−17女子W杯だ。ニュージーランドで行われ、岩渕真奈がMVPを獲得した大会である。田中は14歳ながら3試合に出場したが、得点を挙げることはできなかった。「みんなにコロコロシュートって言われるくらい、キック力がなかったんです。ドリブルからのシュートが本当に苦手で。そこでシュートが入っていれば勝てたのにというシーンもあった。もっと練習しなきゃなと思いました」と当時を振り返る。そして、「世界の舞台で戦ったのはその時が初めてで、その中で何が通用しないのかっていうのが、その時点で分かった」と痛感して帰国した。
アクシデントをチャンスに変えて
高校1年の春に左足第5中足骨を疲労骨折した際は、痛めている方の左足で正確に蹴る練習を積んだ。「左足で踏ん張るのが難しかったから、右足を軸足にして練習したんです。右足しか使えないっていうのが嫌だったから、左足で蹴れるように、とにかく練習しました」とアクシデントも武器を磨くチャンスに変えてみせた。「性格的に、1つだけじゃ嫌なんです。いろいろできた方が楽しいじゃないですか。プレーを楽しくするために、練習してるんです」。さらりとそう言って笑う田中のキックの精度は、いつの間にかプレースキッカーを任されるほどまでに達していた。
アカデミー福島を卒校した今春、田中はINAC神戸に入団した。澤穂希ら日本代表選手が7人も所属する強豪チームにあって、いまだレギュラーポジションを確保していない。しかし、彼女は焦ってはいない。「1年目だし、自分のレベルアップが大事。これから自分がどうなりたいのかという目標を置いて、毎日トレーニングをして、やるべきことをやっている。試合に出られなくても、将来一流になれればいいと思っています」と、あえて厳しい道を選んだことを明かした。世界の頂点に立った先輩たちの背中を追いながら、いつかその域に達する自分の姿を明確にイメージし、毎日を過ごしている。