1年生司令塔が感じたV8帝京大との差 “絶対王者”に届かなかった東海大

斉藤健仁

大学選手権決勝は激戦に

試合後に涙を流して抱き合う帝京大・姫野と東海大・磯辺 【築田純】

 大学の「頂上決戦」にふさわしい名勝負だった。

 1月9日、ラグビー大学選手権の決勝が東京・秩父宮ラグビー場で行われた。8連覇に王手をかけた帝京大に、初優勝を狙う東海大が挑んだ。結果はこの一戦にピークを合わせた帝京大が14点差をひっくり返して33対26で勝利。ステージこそ違うが、新日鉄釜石(現・釜石シーウェイブズ)と神戸製鋼のV7を超えた。赤い優勝Tシャツを身にまとったFL亀井亮依キャプテンは両手で8の数字を作り、8回、宙に舞った。

 一方、敗れた東海大も最後までPR渡邉隆之、No.8デビタ・タタフら日本代表経験者3人を中心としたFWの強力スクラムとディフェンスでプレッシャーをかけて、同点優勝もあるか、というところまで紅き王者を苦しめた。

FLから転向した1年生SO・眞野

半年前までFLでプレーしていたが、SOとして決勝に先発した眞野 【斉藤健仁】

 東海大のSOには、両チーム合わせて唯一の1年生で先発した眞野泰地が入った。眞野は、日本代表経験もある帝京大SO松田力也とマッチアップしながらも、相手の100キロを超えるFWの選手をタックルで倒すなど、上級生と何ら遜色ない働きを見せた。だが眞野は「力量不足でした。試合に出られない4年生がいる中で出場していたので、勝って4年生を笑顔にしたかった……」と肩を落とした。

 眞野といえば、FLとして、ちょうど1年前の「花園」こと全国高校ラグビー決勝で、主将としてチームを牽引、2トライを挙げる活躍を見せて東海大仰星を2年ぶり4度目の優勝、そして高校「3冠」に導いた立役者だった。

 今年度も東海大仰星を準優勝に導いた湯浅大智監督は、当時、眞野をこう評価していた。「考えてラグビーをするのが仰星の文化で、その質が1番から25番までが高かった。そんな中でも主将の眞野は素晴らし過ぎて、何も言うことがない。小さいながら、チームを引っ張りながら、プレーしながら考えている。サイズで(高校日本代表に)選ばれないのであれば、僕が間違っていると思うくらい」

 恩師の言葉通り、眞野は高校日本代表でも主将を務め、昨年3月、アウェーでスコットランドU19代表撃破の金星に貢献。6月には、もう一つ上のグレードであるU20日本代表にも選出、イングランドで行われた世界大会を経験して、一回り成長を遂げた。

U20世界大会を終えてからSOに挑戦

帝京大の強力FWを止める力強いタックル 【斉藤健仁】

 兄(京都産業大主将のFL眞野拓也)の影響もあり、生駒ラグビースクールで楕円球と出会い、中学から東海大仰星に進学。中学はSOだったが、高校からFLに転向する。前の東海大仰星の監督である土井崇司氏(現・東海大テクニカルアドバイザー)は「中学3年間は僕が見ていて、オール大阪まで行きました。ただ高校に進学するとき、ちょうど僕が入院した年で、FWの選手があまり来てくれなかった。そこでSO岸岡智樹(早稲田大1年)もいたし、湯浅監督と話して、眞野はタックルもできるからFLにということになった」と振り返る。ただ実際は突破力とハードタックルを武器とするFLながら、左足でキックも蹴るFWとBKの中間のような選手だった。

 さらに土井は「(FWとBKの切れ目である)SO周辺でゲインを切られるとトライを取られてしまう。眞野はタックルも強いのでSOに戻そうと思っていました。U20の世界大会にも出場していたので、タイミングを見計らい、夏休みの終わりからSOに挑戦させました」と続けた。強豪大学には外国人No.8も多く、眞野のタックルが買われたというわけだ。

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著者プロフィール

スポーツライター。1975年生まれ、千葉県柏市育ち。ラグビーとサッカーを中心に執筆。エディー・ジャパンのテストマッチ全試合を現地で取材!ラグビー専門WEBマガジン「Rugby Japan 365」、「高校生スポーツ」の記者も務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。「ラグビー「観戦力」が高まる」(東邦出版)、「田中史朗と堀江翔太が日本代表に欠かせない本当の理由」(ガイドワークス)、「ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「エディー・ジョーンズ4年間の軌跡―」(ベースボール・マガジン社)、「高校ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「ラグビー語辞典」(誠文堂新光社)、「はじめてでもよく分かるラグビー観戦入門」(海竜社)など著書多数。

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