自身の存在価値を再認識させた山口蛍 苦境からの浮上へ、踏み出した大きな一歩
紆余曲折を経て、3月以来の代表戦のピッチへ
最終予選・タイ戦でピッチに立った山口蛍。3月に重傷を追って以来の代表戦のピッチだった 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
彼にとってこの試合は、3月29日の2次予選シリア戦(5−0)の後半10分に相手と接触し、鼻骨骨折および左眼窩底骨折の重傷を負って以来の代表戦のピッチだった。その間には、過酷なリハビリ、ヘディングに対する恐怖心との戦い、所属していたハノーファーのブンデスリーガ2部降格、2年連続でJ2を戦っている古巣・セレッソ大阪への復帰など、さまざまな紆余曲折があった。
「サッカー選手としての成長も大事かもしれないけれど、今は『自分の気持ち』を一番優先したいなと思いました。どこでやっても自分のサッカーに対するスタンスを貫ければいいのですが……。」と自身の身の振り方を決めかねていた6月初旬、彼は自主トレに励んでいたC大阪の舞洲グランドで、率直な思いを口にしたことがあった。
その「自分の気持ち」というのが、古巣・C大阪への強い愛着だった。それを取ってJ2へ復帰すれば、日本代表の選考には明らかにマイナスに作用する。山口自身もそのことはよく分かっていたはずだ。しかしながら「戻ると決めた時点で(J1に復帰するまでの)半年は(代表に)呼ばれない覚悟を決めた。代表どうこうより、チームをどうにかしなくちゃという考えの方が強かった。だから代表のことは全然気にしていなかったです」とクラブ最優先の考えを貫き、大きな決断を下したのだ。
この反響は大きく、彼は各方面から容赦ない批判にさらされた。「『早く帰って来すぎじゃないか』とか『逃げて帰ってきた』とか、いろいろな人から言われましたけれど、そう思われてもおかしくない。でも、ここから自分が何を成し遂げていくかで人の見方も変わると思います」と本人は自分に言い聞かせ、雑音を封印しようとした。
しかし、肝心のヴァイッド・ハリルホジッチ監督が「蛍のJ2復帰についてはまったく喜んでいない。彼はドイツで良いプレーをするのに必要なクオリティーを全部持っていて、興味深い選手になるはずだった」と皮肉たっぷりにコメントしたことは、心に突き刺さる部分があったに違いない。
だからといって、2014年のW杯ブラジル大会では3試合出場という国際経験を持ち、デュエル(1対1の競り合い)に圧倒的な強さを見せる男を簡単には外せない。J2の試合に何度もスタッフを送り視察させ、今回の2連戦では代表メンバーに抜てきした。合宿初日だった8月28日のトレーニングでもマンツーマン指導を課すほど、大きな期待を示していた。
チームを救ったタイ戦でのプレー
タイ戦でコンビを組んだ長谷部(17番)も「自分の守備負担が減る部分が間違いなくあった」と山口を評価 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
「前のアジアカップを見ても、UAEに縦に一発で行かれて7番(アリ・マブフート)、11番(アハメド・ハリル)が起点を作る場面が結構ありました。あそこでキープしてファウルを誘って、FKでチャンスを作るというプレーがほとんどだった。結局はそれしかなかったと思うので、もうちょっと予測ができれば、センターバックも早めに潰せたかもしれないし、ボランチももっと早く挟みにいけたかなと思います」と敗戦の翌日、山口は冷静にチームの問題点を分析した。そのうえで「いつでもいけるように準備はしておこうと思います」と良い意味での割り切りを持って、勝負のタイ戦に照準を合わせた。
負けたら指揮官の解任騒動にも発展しかねなかった大一番。日本随一のボール奪取職人を投入した効果は序盤から大いに表れた。接近戦にめっぽう強い25歳のボランチは、相手攻撃陣の起点である「タイのメッシ」こと、チャナティップ・ソンクラシンを立て続けに潰し、ボールを奪った。味方が縦パスをインターセプトされても、山口が的確なポジションに動いてボールを取り返し、攻撃の芽を確実に摘む。そんなシーンが繰り返され、チーム全体が何度も彼に救われた。
「自分の特徴はそういうところにあるから、試合に出たらそれを出そうと思っていました。自分のやるべきことをやっただけかなと思います」と日頃からあまり感情を表に出さない山口は静かに語ったが、コンビを組んだ長谷部は「蛍はとにかくボールを奪いにいく力があるし、今日はそこでかなりチームに貢献していた。自分の守備負担が減る部分が間違いなくあった」と前向きに評していた。
百戦錬磨の長谷部といえども、大島とはプレー時間があまりにも少な過ぎてバランスを取ることで苦労していたが、やはりW杯ブラジル大会を共に戦ったダイナモとのコンビは安定感があった。日本の中盤の落ち着きはUAE戦とは比べ物にならないほど大きかった。