自身の存在価値を再認識させた山口蛍 苦境からの浮上へ、踏み出した大きな一歩

元川悦子

守備面だけでなく攻撃面でも勝利に貢献

守備面だけでなく攻撃面でもこれまで以上に精力的にこなしていた山口 【Getty Images】

 山口が異彩を放ったのは守備面だけではなかった。攻撃の起点になる仕事もこれまで以上に精力的かつ大胆にこなしていた。1つの象徴といえるのが、前半18分の原口元気の先制点の場面。始まりは山口から酒井宏樹への小気味良い展開だった。このパスが右サイドバックの攻め上がりを引き出し、原口に絶妙のクロスが供給される形となった。ご存じの通り、山口と酒井宏はロンドン五輪代表時代からのチームメート。ハノーファーでも半年間同じピッチに立っていて、お互いのやりやすいタイミングを熟知している。その好連係が非常によく出ていた。

 後半に入ると、山口の攻撃意識はより鮮明になった。実はC大阪でも8月半ば以降、「自分がチームを動かさなければいけない」という意識を強めており、今回の最終予選2連戦直前のツエーゲン金沢戦(8月21日/3−1)では、高い位置を取って攻めに絡んでいた。タイ戦の後半はその相乗効果が出たのか、複数のチャンスを演出していた。同17分の本田圭佑の決定機につながった酒井宏への正確なサイドチェンジ、原口がシュートに持ち込む形に至った同23分のボール奪取からの縦パス供給などは、山口らしい攻撃センスが光った場面だった。これは特筆すべき部分だろう。

「サイドと中は使い分けていましたが、今日はサイドからの崩しが多くできていたので、基本的にはサイドでしたけれど、サイドばかりでもダメだと思っていたので、タイミングを見て中に入れる形も意識しました。途中から『ちょっと前に行ってくれ』という監督の指示もあって、コミュニケーションを取りながらうまくやったつもりです。今日はある程度、自分の仕事ができたかなと思います」

 2−0の勝利という最低限の結果を手に入れた後、山口は安堵(あんど)の表情を浮かべつつ、「ほんの少しだと思いますけれど、一歩を踏み出せたのかな」と胸の中の本音を吐露した。

芽生え始めたリーダーとしての自覚

セレッソに復帰してから、山口に芽生えたのはリーダーとしての自覚だ 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 時折、激しいスコールが降り、ピッチが重く滑りやすい状態になるという難しい環境下で、決してブレることなく、90分間自分自身の役割を遂行し続けた彼のパフォーマンスには、日本サッカー協会の田嶋幸三会長を筆頭に多くの賞賛の声が寄せられた。ただ、相手が格下のタイということを考えると、これで満足していい訳がない。彼はJ2という世界基準から離れたリーグにいるのだから、他の選手以上に高いレベルを常に意識して、貪欲に上を目指す必要があるのだ。

「自分の場合は(代表戦で)テストされているようなものだと思っています。そこで結果が出なければ、もう呼ばれないと思う。今回、久しぶりにここに来て、レベルの高さを感じたし、あらためてもっと厳しくやっていかないといけないと思いました」と本人もさらなる危機感を抱いた様子だ。

 4カ月前まで同じクラブでブンデス2部残留争いをしていた清武弘嗣が新天地・セビージャでUEFAチャンピオンズリーグに参戦し、マルセイユに赴いた酒井宏もフィジカル色の非常に強いフランスリーグ1部で試合に出場しているという現実を目の当たりにしたのだから、彼自身も当然、考えるところはあっただろう。仲間たちからの刺激を受け、クラブでの苦境から貪欲に這い上がっていくしか、今の山口蛍が代表に定着し、中盤のキーマンとして輝き続けるすべはない。

「もっと意識を変えてやれば、自分自身は全然変わってくると思います。J2の方が絶対にフィジカル的にはきついので、その中でやっていくのもマイナスにはならないと思います。ここからC大阪が勝ち切っていくことができれば、チームとしても、プレーヤーとしても、もう一段階、上に行けるという気がしています。

 (C大阪に)復帰してからの自分は、周りに気を使っている部分がたくさんあった。もっと自分のプレーを出していいんじゃないかと考え始めています。『俺がいくから、後ろもついて来いよ』というくらいの気持ちでやっていかなくてはいけないと今は強く思っています」

 柿谷曜一朗に加え、杉本健勇も負傷離脱してしまった今、山口はC大阪でリーダーとしての自覚を強く持ち、それを押し出そうとしている。そこはドイツへ移籍する前とは明確に異なる部分である。その意欲を代表に持ち込み、今後の最終予選で彼が長谷部に匹敵するほどの影響力と統率力を示してくれるようになれば、まさに理想的だ。タイ戦を契機に、劇的な変貌を遂げてくれることを期待したい。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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