イチロー、過酷な遠征を経て代打で二塁打 3000安打まであと10本

丹羽政善

史上初、米軍基地内で公式戦

米軍基地内で行われた試合後に笑顔を見せるイチロー 【Getty Images】

 7月2日(現地時間)のアトランタは午後になって気温が36度を超えた。おそらくフィールドの体感温度は40度近かったのではないか。しかも、日本以上の湿気だ。アトランタ遠征中のマーリンズは、そういう条件下で午後4時10分から試合を行ったわけだが、試合後、すぐにノースカロライナ州フォートブラッグへ移動。飛行時間は1時間半程度だが、この日、選手がようやくベッドに入ったのは午前2時頃だったそうだ。
 
 フォートブラッグには米陸軍基地があり、3日夜、北米スポーツ史上初めて米軍基地内で公式戦が予定されていた。ただ、単純に試合をするわけではない。
 
 前日、深夜になって寝入った選手らは翌朝、4グループに分かれ、フォートブラッグの陸軍基地内の病院など各種施設を訪問した。そこで一緒に写真を取ったりサインをしたりと、慌ただしい時間を送ったのである。
 
 試合は午後8時10分からだったが、試合前もさまざまな行事で忙しく、あの、のんびり屋のクリスチャン・イエリッチ(マーリンズ)も、軍関係者に渡すためだろうか、チームメートからサインを集めるなど、落ち着くことがなかった。彼は弟が海軍にいる関係もあって、いろんなところから引っ張りだこ。公式会見にも出て、さらには試合直前、テレビのインタビューにも応じている。
 
 結局、その日は午後11時過ぎに試合が終了。マーリンズの選手はすぐに近くの空港から次の遠征地ニューヨークへ向かう予定だったが、遅れが生じた関係で、ニューヨークのホテルに着いたのは午前3時過ぎ。部屋に荷物が届いたのは午前4時頃だったそうだ。そしてこの日(4日)は午後4時10分からの試合。一部の選手は午前中に集合し、メッツの本拠地シティ・フィールドにバスで向かっている。

メディアも慌ただしく移動

 ここ数日、多くのメディアも同じような慌ただしい動きだった。

 3日、筆者は午前6時に起きてアトランタの空港からノースカロライナ州のダーラムに移動。今回は米軍基地の中で行われる試合とあってさまざまな規制があり、集合時間の午後1時半に遅れれば、施設内に入れない。よって悪天候で飛行機が数時間遅れることも見越して、午前10時頃到着の便で飛んだが、予定通りだった。
 
 空港近くのホテルに荷物を置いて、フォートブラッグへ。1時間半ほど運転し、指定された駐車場に着いたのは午後1時過ぎ。そこで試合のクレデンシャルをもらい、荷物検査を受ける。施設内の球場までは軍が用意した何台もの車に分乗して向かったが、そのときなんと、信号や渋滞で止まらないよう、ポリスエスコートがついた。

 約11時間後、同じ駐車場に戻ってくる。それからダーラムのホテルへ車を走らせ、着いたのが午前2時過ぎ。それから原稿を書いて午前4時頃、ようやくベッドに。数時間寝て、再び空港へ行き、今度はニューヨークへ飛ぶ。メッツの本拠地であるシティ・フィールドに着いたのは午後1時半過ぎだった。

 こうして移動が続き、ここ2日間は物理的に睡眠時間が確保できない状況だったわけだが、選手と決定的に違うことがある。

 彼らは、酷暑の中で試合を行っているのである。ユニホームを着て、投げ、打ち、走っているのだ。

 そういう中で移動が続き、これはさすがにタフな選手らにとってもこたえたよう。ある投手によれば、4日、バスに揺られて球場に向かう選手の表情は、一様にぐったりしていたそうだ。

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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