親に何と言われようが、子供に罰を与える スペイン暮らし、日本人指導者の独り言(6)

木村浩嗣

罰を与えることは必要悪

選ばれし者たちの試合前のウォーミングアップ。“たらたらやりやがって”と怒るところだが、このくらいはスペインでは普通。モチベーション高く試合には勝ったので許す 【木村浩嗣】

「うちの●●●●の家での態度がなっていません。私の言うことをまったく聞かなくて、どうしていいか分からないんです。サッカーを罰にするのは嫌ですが、今日の練習には連れていかないでおこうと思うのですが……」

 この間、こんなお母さんからのメッセージが届いた。子供は親の付き添いがなければ練習場にも来られない小学生である。そんな子が手に負えないとはかわいらしい相談だな、と思ったが、この人はおそらく20代の若いお母さんだからそれもしょうがないのかもしれない。こう答えた。

「大変良いと思いますよ。私も態度が悪い子はプレーさせません。つまりあなたのやろうとしていることはチームの方針と同じなわけで一貫しているのです。ですから遠慮なく罰を与えてください。態度が良くなるまで連れて来ないでください」

 昨日の試合では招集外になったその子が応援に来ていた。反省したのだろう。良いことだ。

 罰は与えなくて済むのなら、それに越したことはない。が、実際は指導の現場では毎日が罰の連続である。態度が悪い奴、やる気がない奴に腕立て伏せや腹筋をさせるから始まり、別メニューにする、グラウンドを周回させる、練習から追放する、試合に招集しない、プレー時間を短くする……まで。罪の重さは、反省具合や再犯かどうかなどで決まる。罰は良いことでないことは明白だが、チームの規律とモチベーションを保つための必要悪である。

競争によって得られるもの

 チャンスは平等に与えるが、平等なのはそこまで。努力する者には賞を与え、しない者には罰を与える。それを不平等と呼ぶ者がいるかもしれないが、努力した者と怠け者を公平に扱うことこそ不平等だろう。努力が報われない社会、例えば生まれた時の貧富で将来の貧富が決まるような社会で、誰が学業や仕事に打ち込もうと思うだろうか?

 サッカーも同じ。待っていれば順番に“公平に”試合に出られるようなチームで、誰が一生懸命練習をしようとするだろうか? チームメートは競争相手、競争に勝った者だけが試合に出る資格を得て、仲間と一緒に相手チームと競い合うことができる。こうして競争原理は上から下まで貫徹しており、モチベーションの原点となっているわけだ。競争と言ってもボールをうまく蹴れるとか、ドリブルできるとかだけではない。スクールだからこそ態度や姿勢はプレー以上に大事であり、誰が良い態度、姿勢をするかでも子供たちは競争している。

 試合のある週では火曜、水曜、木曜と曜日を追うごとに子供たちの態度が良くなる。招集メンバー発表当日の木曜には、自ら進んで用具の片づけをし、好印象を与えようとする子すら出てくる。逆に、試合のない週は態度が総じてなってない。“ガキの浅知恵”であって大人はすべてお見通しなのだが、こうしたゴマすりも含めて態度が良いのは評価すべきことだと思っている。

 スペインの小学校には清掃の時間というのはなく、掃除は専門の業者が担当する。そのせいか、子供はごみをロッカールームの床に捨てても平気、片付けは大人がやるものだと考えている節がある。でもうちは監督が日本人だからチーム内ルールも日本式で、片づけも手伝わせる。

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著者プロフィール

元『月刊フットボリスタ』編集長。スペイン・セビージャ在住。1994年に渡西、2006年までサラマンカに滞在。98、99年スペインサッカー連盟公認監督ライセンス(レベル1、2)を取得し8シーズン少年チームを指導。06年8月に帰国し、海外サッカー週刊誌(当時)『footballista』編集長に就任。08年12月に再びスペインへ渡り2015年7月まで“海外在住編集長&特派員”となる。現在はフリー。セビージャ市内のサッカースクールで指導中。著書に17年2月発売の最新刊『footballista主義2』の他、『footballista主義』、訳書に『ラ・ロハ スペイン代表の秘密』『モウリーニョ vs レアル・マドリー「三年戦争」』『サッカー代理人ジョルジュ・メンデス』『シメオネ超効果』『グアルディオラ総論』(いずれもソル・メディア)がある

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