谷佳知「僕以上の選手を育てたい」 ファンに愛された19年 引退会見全文
引退会見で笑顔を見せるオリックス・谷 【写真は共同】
今後は未定としつつも将来は指導者を目指し、「自分を超える選手を育てたい」という。10月3日の京セラドームでの最終戦(福岡ソフトバンク戦)で、引退セレモニーを実施し、ファンに自分の口で感謝を伝える予定だ。
谷は1997年にドラフト2位でオリックスへ入団し、イチロー(現マーリンズ)、田口壮らと鉄壁な外野陣を形成した。07年に巨人に移籍、14年オリックスに復帰した。通算成績は1887試合に出場し、打率2割9分7厘、133本塁打、741打点。
以下は会見での谷のコメント。
引退決断は8月の終わり
――引退を発表した、今の率直な気持ちは?
緊張の連続でずっとやってきましたし、全力でプレーできたこと(もあって)、晴れやかな気持ちです。
――引退を決意したのはいつ?
8月の終わりに、もうそろそろかなと決意しました。
――どんな方に相談しましたか?
まず家族に連絡して、「決めるのはパパだから」と。自分の意思を持って決断をしました。
――奥様(亮子夫人)にはどんなふうに伝えましたか?
19年間、野球をやらせてもらったので、もうそろそろ野球をやめようかなと。(亮子夫人には)「パパの思い通りにやればいいよ」と言ってもらいました。
――お子さんには何と伝えましたか?
パパ、やめるのって言われました(笑)。長年やってきましたので、子どもに(自分のプレー)姿も見せられたかなと。納得はしていないかもしれませんが、今後は子どもの世話を少しできればと思っています。
2000安打「惜しいとは思っていない」
オリックス復帰2年目の今季、谷は10試合でわずか4安打。2000本安打目前でユニホームを脱ぐ決断をした 【写真は共同】
そうですね。あまり惜しいとは自分では思っていないです。ただ、19年間も野球をやらせてもらった中で、2000安打のモチベーションで野球をやらせてもらったので、悔しさとかはないです。
――引退報道が出て、ファンの中では「まだできるのに」の声もありますが?
そうですね。いろいろずっとやってきましたし、緊張の連続もありますし、精いっぱいやってきたと思っています。これを機に決断させていただきました。
――04年には足首を痛め、近年は右肩痛で、けがとの戦いでもあったと思います。
五体満足で選手が全員やれるわけではないですし、けがをした時でも少しでも和らげるため、マッサージをしたり、治療に行ったり、すべてを(できることを)やって、ゲームに出るということを意識していました。痛いから何々ということはありませんでした。
――19年のプロ野球人生を振り返って、一番印象に残るのは?
初安打ですね。プロに入って初安打が印象深いですね。あとは、木村拓也(氏の追悼試合)の満塁ホームラン。アテネ五輪もですね。僕としては最高なところで野球ができたと思います。