谷佳知「僕以上の選手を育てたい」 ファンに愛された19年 引退会見全文
二塁打が自分にとってのモチベーション
2010年に亡くなった木村拓也さんの追悼試合で自身初の満塁弾を放った谷(当時は巨人) 【写真は共同】
長打を打てるバッターではなかったので、できる限りヒットゾーンに飛ばすことを意識しました。二塁打が自分にとってのモチベーションだったかなと思っています。
――プロ初安打の時、19年間プロ野球生活が続くと思いましたか?
そんなことは全然思っていなかった。まず(ヒット)1本という気持ち。プロに入って1本打ちたいとやっていました。打った瞬間は本当に喜びましたし、これからもっとレギュラーをつかんで、本数を重ねていかないといけないなという気持ちになりました。19年間、野球を続けられるとは思っていなかったですね。
――19年間、続けられた理由は?
ファンの皆さんに支えてくれたおかげでここまでできたと思います。
――野球人生をスタートさせたオリックスで引退を迎えたことについては?
そうですね。オリックスに来た時点で、そのつもりでいました。オリックスで終われれば、最高だと思っていました。
――入団時の監督、故・仰木彬監督については?
恩師です。野球を教えてもらった監督で、今でも尊敬しています。
――掛けられた言葉で印象に残っている言葉は?
そうですね、うーん、「メンバー表に谷を書くことが俺の仕事や」と言われたことがうれしかったですね。けがをしても出ないといけない、先発メンバーに連ねないといけないと思いました。
長かったような短かったような
うーん、長かったような短かったような気もしますし、全力は出し切ったと思っていますので、短かったようにも思います。
――野球人生を一言で言うと?
皆さんに支えていただいたおかげでここまで来られたのが一番ですね。
――ファンに一言。
今まで応援、ご声援をいただき、本当に感謝しています。ただ、ここで野球人生が終わったつもりではないので、これから先、教える立場、野球に携わる仕事をしますので、選手と違った形で応援してもらえたらありがたいです。
――今後は指導者を目指す?
指導者とか、野球を勉強しながらやっていきたいです。
――緊張の連続での現役生活だったとのことですが、いま一番やってみたいことは?
休養をまずしたい。あとは旅行に行きたいかなと思います。(目頭をかきながら)すみません。(家族旅行ですか?)<うなずく>
強い体に産んでくれた両親に感謝
指導者として選手を育てていければいいです。プロ野球に限らず、日本中の野球少年のために何かできればと。
――どんな選手を育てたいですか?
僕以上の選手を育てていきたい。僕がすごかったわけではないが、自分のすべての技術を教えて、それ以上の選手になってほしい。
――プロ野球選手の中で谷選手は体が大きい方ではありませんが、それでも数字を残せた理由は?
けがもいろいろありましたが、大きなけががなかったことが一番ですね。強い体で産んでくれた両親に感謝です。親もここまで野球をやっていると思っていなかったようですし、その辺はありがたいなと思います。
――家族旅行の行き先は決まっていますか?
旅行?(笑)。どこがいいかな、まだ決めていないですね。まずはゆっくりしたい。家族と2年間、いっしょにいられなかったので、まず子どもといっしょに遊びたいです。子どもがどう思っているか分かりませんが(笑)。
ーーお子さんには野球を教えたいですか?
そうですね。教えたいですね。今はアイスホッケーをやっていますし、練習に日々励んでいます。野球もクラブチームに入っていますし、サッカーもやっています。いろいろなスポーツをやって、自分でこの競技がいいと決めてもらえればと思います。
――谷選手から見て、お子さんの野球センスは?
まだそこまで見ていないです。家の中でキャッチボールしたりくらい。これから教えていきたい。広い公園でキャッチボールやバッティングをやりたいですね。