野村監督(写真右)が「ID野球」を浸透させ、古田がその体現者としてチームをけん引。リーグ優勝4回という黄金期は、この2人がいたからこそ迎えられたと言えるだろう(写真は共同)
2月初めに急逝した野村克也監督のもと、1990年代に訪れたヤクルト黄金時代。データを駆使した「ID野球」を掲げてリーグ優勝4回、日本一に3回輝いた記憶は、20年以上経た今も鮮明に残っているだろう。野村ヤクルトと、これに続く若松勉監督時代の選手が上位に多くランクインした。
その中で異彩を放ったのが、先発1位の「カネやん」こと金田正一だ。50年代から60年代前半、国鉄スワローズで活躍。速球とカーブを武器に、通算400勝のうち353勝を国鉄で挙げた。2位の伊藤智仁は93年、ルーキーイヤーの前半だけで7勝をマーク。規定投球回には届かなかったものの、防御率0.91と圧巻の投球で新人王を獲得した。野村監督が、切れ味抜群の高速スライダーにほれ込んだ投手である。
中継ぎの1、2位は2000年代初め、快速球で「ロケットボーイズ」と呼ばれた右腕・五十嵐亮太と左腕・石井弘寿。余談だが、同じ千葉県出身で先発3位の石井一久(現・東北楽天GM)に憧れていた石井弘は「東京学館浦安(石井一の母校)と間違えて東京学館に入学してしまった」という逸話がある。3位の安田猛は上位2人と趣を異にし、「ペンギン投法」と呼ばれた技巧派左腕。筆者的には、いしいひさいちの漫画『がんばれ!!タブチくん!!』に出てくるヤスダくんがツボである。
抑えは90年代を代表するクローザーであり、現在は監督を務める高津臣吾が、70.06%の得票率で2位以下を大きく引き離した。NPB通算286セーブ、最優秀救援投手4度。当時は女性向け野球誌『プロ野球ai』の読者人気ランキングでも、長きにわたり1位を独占していた。
捕手は野村ID野球の象徴・古田敦也が94.50%の得票率でダントツ。70年代~80年代の正捕手・大矢明彦が2位に入ったほかは、得票率1%にも及ばなかった。
一塁の1位・ペタジーニは、「同級生のお母さん」であるオルガ夫人が話題になったが、本塁打王2回、打点王1回の優良外国人選手だった。80年代後半から90年代、「イケトラコンビ」でチームを引っ張った広澤克実は一塁の3位、池山隆寛は三塁と遊撃で2位に。「トリプルスリー」3回の現役・山田哲人には完敗したが、二塁2位の土橋勝征も90年代ヤクルト黄金期に欠かせなかったバイプレーヤーである。
三塁の1位・岩村明憲は3年連続で「3割、30本」を達成したスラッガー。遊撃1位の宮本慎也は入団当初、野村監督に「守備専門」という意味合いで“自衛隊”と呼ばれながらも、努力の末に通算2000安打を達成して現役を終えた。
外野は現役の「安打製造機」青木宣親が74.78%の得票率で1位。19年シーズン終了時点で、NPB歴代最高通算打率(4000打数以上)の.326を打っている。2位は、同通算打率現在3位の.319で現役を終えた若松。選手としては78年、監督としては01年に日本一に輝いた「ミスター・スワローズ」である。3位のバレンティンは今季、福岡ソフトバンクに行ってしまった。4位のラミレスは現横浜DeNA監督。ヤクルト時代の「アイーン」が懐かしい。
(文:前田恵、企画構成:株式会社スリーライト)