中谷潤人に両目を折られ、完敗した高校国語教師 10年後の今も教壇とリングに立ち続ける理由

船橋真二郎

執拗な前進を若き中谷潤人は嫌がった

今や世界3階級を制覇した中谷潤人との戦いで「プロボクシングを教えられた」という 【Photo by Sarah Stier/Getty Images】

 ラウンドが進むにつれ、両目の痛みは激しさを増し、耳鳴りはやまず、呼吸も苦しくなってくる。「危険信号」も構わず、しつこく食らいついていくとパンチのヒット率が上がってきた。3ラウンドに入ると執拗な前進を嫌がった若き中谷が両手や肩で何度も突き放そうとし、ついには頭で押し返したところでレフェリーの注意も受けた。

 最終4ラウンドも前に出た。が、絶妙なタイミングで左ボディを入れられてしまう。一瞬、上体が丸まり、動きが止まったのを逃してはくれなかった。連打をまとめられ、レフェリーが試合を止めた。ダウンを拒否したのは意地だった。

 試合後、救急車で急行した病院で両目とも眼窩底骨折と診断を受けた。手術はせずに保存療法を選択。「横になると“目が落ちる”から、座った状態で寝るように言われて。地獄でした」。

 それでも、休みが明けた月曜日には教壇に立った。大きなメガネで腫れ上がった両目を隠してみたものの、明らかに異様な顔に教室は微妙な空気に包まれた。

「軽く冗談のつもりで『こんな顔でしたよ』と言ったら、『笑えないよ』と返されて(苦笑)。正面を見る分には大丈夫だったんで、授業はできたんですけど、とにかく目を動かすと痛くて、視界がブレるんで。生徒に心配させてしまったのが申し訳なかったです」

 実に3年9カ月ぶりの勝利を飾ったのは、その2戦後の2016年11月のこと。そこから一転して7勝1敗の好成績をあげ、2019年6月には日本フライ級12位となり、初のランク入りも果たした。

 そのキャリアで中谷戦は、どんな意味を持つ試合になったのか。

「自信にはなったかもしれないです。やっぱり強かったですし、ケガもしましたけど、不安を打ち消して、ちゃんと最後まで抵抗できたかなと思うので。ある意味、中谷くんにプロボクシングというものを教えてもらった気がします」

「雲外蒼天」に込めた思い

A級ボクサーの蒲山直輝(小熊=中央)のチーフセコンドとして後楽園ホールのリングに立つ小久保さん(右)。左は小熊正二会長(2023年9月21日) 【写真:船橋真二郎】

 昨年4月から県立の特別支援学校に職場が変わった。埼玉県に「高校ならどこでも」と希望を出したところ、返ってきたのが盲学校高等部の国語教師。これまでとは勝手が違うが、チャレンジしようと決めた。

「新しい経験になると思ったので。ボクシングが生きてるんじゃないですかね。何でもやってみる、できないと言わないところがいいと褒められます(笑)」

 もともと非常勤はボクシングのためでもあった。2023年7月に「37歳定年制」が撤廃された。ラストファイトから3年。復帰の道が開かれたが「1試合限定じゃ意味がない。チャンピオンを目指して、前以上の練習ができるか」と自問し、仕事の面でも踏ん切りをつけた。

 2019年10月、世界に2度挑んだベテラン、小野心(ワタナベ)に挑戦。ジャッジ2者が1ポイント差とつける0-3の判定で惜敗、日本ランクを失った。年が明けた3月、日本ランカーの藤井貴博(金子)との試合はコロナ禍で中止になる。

 その直後に左ヒザを骨折。仕切り直しの藤井戦は10月9日、37歳の誕生日の17日前に決定した。ようやく7月からリハビリを開始。何とか間に合わせた。日本ランク復帰を果たさなければ現役続行の道が閉ざされる一戦。奮闘するも、僅差1-2の判定で一歩、届かなかった。

 悔しさは残るが「勝つべき試合で、誰が見ても勝ちという内容に持っていけなかったので」と受け止めている。

 人を応援することにやりがいを感じる心根は、ボクシングでも生きる。いち練習生のつもりで小熊ジムに入ったはずが、いつしかトレーナーライセンスを取得。「選手から信頼されてますよ」と目を細める小熊会長の信頼も厚い。チーフセコンドとしてリングに入る機会も増えた。

「またリングに立てると思わなかったので、嬉しいですし、特別ですね。選手と一緒に戦えるので」

 ジムに来た頃、1勝1KO5敗1分だった渡辺顕也にシンパシーを感じた。小久保さんが練習を見て、臨んだ試合で3回TKO勝ち。「負けたら引退のつもりだった」という渡辺は4年半ぶりの勝利に絶叫、リングを転げ回り、両の手足をじたばたさせた。本人曰く「無心の発狂」。普段は寡黙で感情を出さない渡辺の姿に感動した。

 そんな渡辺もA級(8回戦)昇格まで1勝に迫る。小久保さんがB級(6回戦)昇格後、トランクスに入れたのが「苦労の先にある青空の美しさ」を表す「雲外蒼天」。2勝目をあげてからは、勝つたびに「すべてに感謝したい」気持ちに包まれた。

「練習も試合も大変でしたけど、青空を見たいんだと思い込んで頑張れました」

 今は選手とともに美しい青空を見たいと願っている。

埼玉・川越の小熊ジム。左から渡辺顕也、田之岡条、小久保さん、小熊会長、高橋世魁、蒲山直輝のプロ選手たち。中央前は小学5年生の練習生 【写真:船橋真二郎】

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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