東京V・木村勇大 海外移籍をやめ、名門で「10番」を背負うことにした理由

元川悦子

名門クラブのエースとしての風格が感じられる木村勇大(左) 【Photo by Masashi Hara/Getty Images】

 2024年は16年ぶりのJ1復帰にも関わらず、6位と大躍進を見せた東京ヴェルディ。アカデミー育ちや大卒、他クラブからレンタルで加わった若手を大きく伸ばした城福浩監督の卓越した手腕が改めて高く評価されている。

 ブレイクを果たした選手の筆頭と言えるのが、プロ2年目の木村勇大だ。

 大阪桐蔭高校から関西学院大学を経て、2023年に京都サンガ入りした彼は、2023年J1開幕の鹿島アントラーズ戦で先発出場。幸先のいい一歩を踏み出したかと思われたが、そこからプロの壁にぶつかり、8月には育成型期限付き移籍で当時J2のツエーゲン金沢へ赴いた。しかし、そこでも試合に出られず無得点。本人も強い危機感を抱いたという。

「もう後がない」という強い覚悟を持って、木村は2024年頭に東京ヴェルディへ再びレンタル移籍。序盤からゴールラッシュを見せ、キャリアハイの10得点を達成。チームの躍進の原動力となった。

 そして完全移籍へ移行し、エースナンバー10を背負うことになった今季は「より高みを追い求める」と闘争心を燃やしている。まさに”旬の男”が、新シーズンへの強い思いを語ってくれた。

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「今年ダメならもう終わり」という覚悟が2024年の好結果を生み出した!

――2024年はJ1・36試合出場10ゴールという結果を残しました。改めて自分自身のパフォーマンスを振り返っていただけますか?

 プロ1年目の2023年がすごくしんどかったんで、「頑張らないとヤバいよな」と危機感を持ってヴェルディに来た中で、自分としてもすごく成長できたと思っています。それがチームの結果にもつながった。周囲の声や評価、環境が大きく変わった1年だったのかなと感じていますね。

――2023年の木村選手は大岩剛監督率いるパリ五輪代表候補合宿にも呼ばれるほどの期待を寄せられていました。どういう難しさに直面したんですか?

 まず京都ではチームの戦い方の中で自分のプレーが全くできませんでしたし、やりたかった最前線のポジションもなかなかできず、葛藤を抱えていました。それで夏に外へ出ようと考えた。いくつかのクラブからお話をいただく中で、「3か月の期限付き移籍期間だから、どうせなら一番厳しい環境に身を置こう」と思って、金沢を選びました。

 その時点で金沢はJ3降格危機に瀕していました。チームのみんなも優しくて、そこまでピリついた雰囲気はなかったんですけど、自分が行ってから全く試合に勝てず、J3に降格してしまい、僕自身も1点も取れなかった。「サッカーってこんなに難しいのか」と痛感しましたね。

 1人の選手、1人の人間として行ってよかったですけど、「2年目(2024年)がムリだったらこの先、上のステージを目指すのはもう難しい」とも思った。「今年ダメならもう終わりだな」くらいの覚悟でヴェルディに行ったことがいい方向に転んだんじゃないかなと思います。

城福さんは選手個人個人に対する熱量が凄まじい

金沢時代の苦しみがヴェルディでのブレイクにつながった 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

――京都でチョウ・キジェ監督、金沢で柳下正明監督に師事し、ヴェルディでは城福監督の指導を受けました。城福監督はそれまでの指揮官とどう違ったんでしょう?

 どの監督もいい監督だし、実績のある指導者だと思います。チョウさんも柳下さんもいろんな声かけをしてくれました。そういう中で城福さんの違いを考えてみると、自分に対するスタンスなのかなと。選手個人個人への熱量は凄まじいものがありますね。

 僕にも「攻撃は自由にやってほしい」と言いますけど、守備のベースや戦う部分への要求は物凄いし、普段は褒めてくれることは滅多にない。試合に出続ける中でタスクをどんどん増やし、甘えが出ない環境に置き続けてくれたのも、自分にはすごくよかったのかなと思います。

 本当に「これでいいよ」というのがないから、つねに高みを追い求められる。1年目の苦境もあって、僕も「言われたことを素直に実行しよう」という姿勢が去年はより強かったので、それもプラスに働いた気がします。

――普段の城福さんは笑顔で気さくに話してくれますけど、敗戦後は近寄れないくらいのピリピリ感を漂わせる。それくらい勝負へのこだわりは人一倍強い方ですよね。

 確かにそうですね。練習のときは笑顔を見せることが多いのに、勝負になると空気感が変わるというのかな。オン・オフのメリハリがハッキリしている人だなと感じます・

――城福さんの下にいるコーチングスタッフのアプローチは?

 森下仁志コーチがすごく自分を気にかけてくれて、細かいところまで見てくれています。自主練やシュート練も付き合ってくれますし、気分が落ちているときはカフェで話をしてくれることもある。選手との距離がすごく近いですし、成長させてくれる指導者だなとホントに有難く感じています。

 城福さんとも2人で映像を見る機会もあります。城福さんが伝えきれない部分を仁志さんに託して、僕に伝えてくれるといういい関係ができていますね。2人とも去年はすごく愛を注いでくれたと感じているので、しっかり恩を返したいなと思っているところです。

――いい指導者の下でプレーすることで木村選手は具体的にどんな変化がありましたか?

 前半戦は4-4-2でやっていて、染野(唯月)と2トップを組むことが多くて、そのコンビのときが一番点を取れていました。

 でも夏以降はシステムが3バックに変わり、1トップになった。前線の枚数が減るとどうしても守備タスクが増えますし、ボールを追う時間が長くなる。自分がつぶれて他の選手が決めるというパターンは増えましたけど、僕自身はゴールのペースが落ちてしまいました。

 そこは大きな反省点。2ケタは行きましたけど、もっと決めないとダメだった。正直言って、去年の結果には全く満足していません。いかにしてシュートの本数を増やすのかというところが今季以降のテーマになってくると思います。そういった課題が見つかって、すぐに取り組めるのは前向きなこと。キャンプも含めて、精力的にやっていくつもりです。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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