闇練習から生まれた、選手主体の堀越高サッカー部ボトムアップ指導法=佐藤実監督インタビュー

平野貴也

堀越高で選手主体のチーム運営「ボトムアップ方式」を採用している佐藤実監督 【平野貴也】

 約30年前、東京都八王子市にある堀越学園総合グラウンドには、チーム練習が終わって監督の車が駐車場を出るのを見届けると、活動が知られるのを恐れて照明をつけず、暗闇の中でチーム練習を行う高校生の集団がいたという。その中の一人が、いま、同じグラウンドに監督として立ち、選手主体の指導を実践している堀越高校の佐藤実監督だ。

 12月28日に開幕する第103回全国高校サッカー選手権に出場する堀越高校(東京都A)は「ボトムアップ」と呼ばれる、選手主体で活動する運用方法を採用している。2006年にインターハイを初優勝した広島観音高校(広島)を指揮した畑喜美夫監督(当時)の提唱で知られた手法だ。堀越では、佐藤監督がコーチを務めていた2012年から採用。日々の練習内容、試合の出場選手、布陣や戦い方、交代策。すべての決定を選手主体で行っている。佐藤監督の高校時代の経験が、一つの背景として存在する。当時の経験と、今の指導法について、話をうかがった。

「チームは、誰かにコントロールされのでなく、共有、協調して作れるもの」

選手ミーティングで多くのことが決まる、堀越のボトムアップ。原型は、佐藤監督(中央後方)の高校時代にあった 【平野貴也】

――佐藤監督が高校生のとき、選手権には出ていなかった堀越高校の選手たちで構成された「マゴーズ」という謎のチームが招待大会で活躍していたと聞いたのですが?

佐藤監督 私が3年生の年は、下級生にも能力の高い選手が多く、彼らが試合に起用されました。当時は、今のように複数のコーチがいるわけでなく、監督が1人で全体を見る時代。当然、全部を見ることは不可能でした。そこで、試合に出る機会が少なかった私たちは、チームの練習とは別に、朝やチーム練習後にみんなで集まってサッカーをやるようになりました。自分たちで練習を考えて、感じたことや考えたことを言い合って共有する時間が増えていくと、チームとしてまとまっていきました。高校選手権の都大会で負けて部活動は引退しましたが、情熱をぶつけあって自分たちで追求するサッカーの終わりは、そこにはありませんでした。同級生の孫田智徳が中学時代に所属したムスタングFCを通じて多摩市の招待大会などに参加して、Jユースチームに勝つこともありました。その頃の話ですね。

――今のボトムアップ指導法につながる原風景があったんですね。

 そうですね。選手同士でポジションを変えたり、戦術を決めたり。誰かにやらされていない。自分たちがやろうとすることだから、全員がチームのことを考えるし、モチベーションが高い。本来、部活動は、こうあるべきじゃないかと感じていました。当時の経験から、チームは、誰かにコントロールされて作られるのではなくて、みんなで共有、協調していけば作れるものだという感覚が、私にはありました。だから、堀越でボトムアップ指導を採用したとき、本当にできるのかと言われたこともありましたが、今の子どもたちも絶対にできると思っていました。試合は、結局のところ、全員が本気で勝ちたいと思わなければ、勝てません。勝つためにどうプレーするか、どう声をかけるか。本気でやる選手が勝つもので、やらされていたら勝てないというのは、大事にしてきたところです。

「ここからが本当の練習だ、オレたちの練習だ」

グラウンドは人工芝に変わり、建物は新しくなったが、場所は同じ 【平野貴也】

――もう少し、佐藤監督が高校生の頃の話を聞きたいのですが、どういう練習をしたのですか? 招待大会では、当時は珍しかったビルドアップスタイルだったと聞きました。

 みんなで議論をしたり、練習したりするのが、本当に楽しかったです。チーム練習が終わると、先生たちの車がいなくなるのを見届けて「行ったぞ!」と言って、またグラウンドに集まって、練習をやりました。「ここからが本当の練習だ、オレたちの練習だ」という気持ちでした。施設管理や安全面で考えると、ダメなんですけど……。

 公式戦に出ているチームは、当時の高校サッカーの王道である堅守速攻でしたが、私たちはパスをつなぎながら、じっくり攻めるスタイル。教わっているものとは全然違いましたが、みんなで作り上げていく中で「これも間違いじゃないはずだ」という思いが確信に変わって行きました。

――当時(佐藤監督の高校在籍は1992~94年度)は、まだインターネットが普及していませんでしたが、どうやって、ほかのチームスタイルを知ったのですか?

 東京でトヨタカップ(クラブワールドカップの前身、欧州と南米の王者が対戦した大会)があり、ブラジルのサンパウロが、今のFC東京の小平グラウンドで事前練習を行っていたのですが、球拾いや掃除の手伝いで行っていて、練習を見ることができました。大会でも運営の手伝いをしながら、試合を見ました。そこで「本場のサッカーと、オレたちが部活でやっているのは、かけ離れていないか?」とギャップを感じました。Jリーグも始まって、ヴェルディ川崎(現:東京V)でプレーするカズ(三浦知良)さんやラモス瑠偉さん(のドリブルやショートパス)を見ても、やっぱり、サッカーはこうだよなって思っていました。

――それを仲間で実践していたのですか?

 後ろからショートパスをつないで、相手の守備陣形を崩して点を取る。そういう勝ち方があるのか。特別に足が速いわけでも、身体が大きいわけでもない自分たちには必要なんじゃないかと、みんなで研究しました。勝つために、仲間で知識や考えを共有して助け合う。間違いなく良い、チームの形でした。

 私は中学校の部活動出身で何も知らなかったので、FC町田(現:町田ゼルビアU-15)で全国ベスト8の経験がある選手から教わったり、いろいろな試合を見て話したり。(前線、中盤、最終ラインの)スリーラインって何だとか、サッカーを学びました。互いの長所や課題を言い合うと、仲間にほめられた選手は、すごく自信を持ってプレーできるようになりました。私はGKでしたけど、バックパスのキャッチが禁止された(92年)時期だったので、GKも足下のコントロールが大事だと言いながらフィールドプレーヤーもやっていました。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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