男子バレー“新世代”の筆頭格・水町泰杜 ビーチとの「二刀流」で臨むSVリーグでの挑戦
水町はWD名古屋で徐々に出番を増やしている 【写真提供:SV.LEAGUE】
年齢によって〇〇に当てはまる選手は異なるが、たとえばプロ野球ならば1980年度生まれの「松坂世代」。横浜高では春夏連覇を最後はノーヒットノーランで成し遂げ、その後日米で活躍した松坂大輔の名がその由来だ。象徴を設け、1つの世代でくくることは好ましい見方ばかりではない。しかし世代を代表する選手がいて、しかも1人だけでなく何人も、見るものの胸躍らせる選手がいることは紛れもない事実。
〇〇は名前だけでなく、年代だっていい。同じ西暦の生まれの選手たちを集め「〇〇年代」や「〇〇会」、呼び名やくくりは何でもいい。何が言いたいかというと、今まさに、バレーボールでも注目すべき世代がいる、ということだ。
対戦相手からも憧れられる存在
学生時代の水町は同世代の「憧れ」だった 【写真提供:SV.LEAGUE】
21世紀最初の年に生まれた彼らを思い浮かべるうえで、その筆頭は日本代表として東京、パリと五輪の2大会に出場した髙橋藍だろう。イタリアの3シーズンを経て、今季はサントリーサンバーズ大阪に加入し、10月11日の開幕戦へ向けたプロモーション活動も含め、露出の機会も多い。もちろんプレーにおいても攻守のバランスに長け、入るだけでチームが安定する。なおかつ攻撃において勝負強さも兼ね備え、人気も抜群。
だが、「〇〇世代」とくくるなら、しかもそれを年代ではなく誰かの名前で当てはめるならば、もう1人、どうしても名を挙げたい選手がいる。
髙橋と同じく、今季からルーキーとしてウルフドッグス名古屋でプレーする水町泰杜。
ちょうど1年前、全日本インカレに早稲田大の主将として出場し、決勝では順天堂大に勝利し大会のMVPも受賞した。チームのエースだから、主将だからというだけでなく、水町のMVPに異を唱える選手はおそらくいない。
それどころか、チームメイトだけでなく、対戦相手の選手からもこんな言葉を聞いた。
「僕達の世代はほぼ全員と言っていいぐらい、水町選手に憧れて、水町選手の背中を追いかけてここまで来た。心の中で『俺たちは水町世代だ』と思いながらここまでやってきました」
なぜそこまで言わしめるのか――。戦績をたどれば、その理由は分かる。
小学生でバレーボールを始め、中学時代にはすでに全国へその名を馳せる選手で、全日本中学バレーボール選手権大会で3位、同年末の全国都道府県対抗中学大会では熊本選抜のエースとして出場し、見事に優勝。鎮西高に入学後も、1年時の18年には春高で優勝し、翌年には2年生ながらチームの主将を任された。
早稲田大でも1年からレギュラーとして活躍、全日本インカレで3度の優勝に加え、主将を努めた4年時は四冠を達成している。
打つとわかっていても決める。エース勝負の鎮西で文字通りエースとして活躍し、何本も上がるトスを逃げずに打ち込んできた姿も相まって、学生時代の水町は紛れもなく世代を代表する選手として、多くの人たちの心を惹きつけてきた。
ビーチバレーとの二刀流に挑戦
今年1月の加入会見はインドア、ビーチの合同で行われた 【写真は共同】
肩書だけを聞けばすべてをこなすスーパーマンのようだが、もちろん最初からすべてがうまくいくわけではない。高校2年時に主将を任された時も、自身がその立場につくことで時に余計な嫉妬の対象となり、苦しんだこともある。ビーチバレーとの二刀流も、学生時代からビーチバレーの楽しさに魅了され、自ら望んで決めたことではあるが、実際にビーチバレー選手としてのキャリアをスタートしてからは「大変なことしかないどころか、何が大変かわからないぐらい大変だった」と笑う。
「海外へ武者修行に行く。でも僕はビーチバレーのルールとか細かい戦術とか全然わかっていない。1からどころか0からスタートの選手なんです。当然、できないことだらけだし、うまくいかないことだらけ。むしろ何でここにいるんだ? というぐらい場違いだと思うこともありました」
だが、持ち前のポジティブさと、「できない」から「できる」ことが増えるにつれ、新たな楽しさも生じる。そして一つひとつできる技や動きが増え、試合で通用する場面も増える。「ビーチバレーが楽しくて仕方なかった」というが、二刀流として臨む以上、ビーチバレーからインドアバレーにも切り替えなければならない。
同じバレーボール。しかも長年慣れ親しんだインドアバレーとはいえ、WD名古屋に合流したのは9月になってから。距離感やボールのスピードも異なり「最初は(サーブに対して)受けるどころか逃げることもできなかった」と笑い話として振り返るように、SVリーグが開幕して自分がどれだけできるのか。半信半疑であったのも事実だ。