試合前にもう『終わりなき旅』は聞いていなかった!? 進化する長谷部誠のルーティンとセカンドキャリア
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厳しい道に挑むのは将来、もっと大きなものを得られる感覚があるから
2013年のニュルンベルクへの移籍は、確固たる考えがあっての決断だった 【Photo by Alex Grimm/Bongarts/Getty Images】
先日、日本に帰ったときにも、みなさんが(指導者としての成功に)期待してくださっていることは感じましたし、とてもありがたいことでした。ただ、自分の母国ではなく、海外で指導者をやっていくのは相当、大変なことだと思うんです。
――28歳でブンデスリーガの監督になった現ドイツ代表監督のユリアン・ナーゲルスマンの例があるからか、「ドイツでは若い監督が成功しやすい」と思われがちですが、「日本よりもドイツで監督ライセンスを取る方が大変だ」という識者の意見もあります。
そんなに甘いものではないというのは、自分が一番わかっています。ドイツ語も、もっと勉強しないといけないですしね。でも、「なぜ、そこに挑戦するか?」と問われたら、やりがいがあるというのはもちろん、将来、もっと大きなものを得られるだろうという感覚があるからです。あとは、周りと比べないことも大切だと思いますね。
――というと?
例えば、日本代表でも、チームメイトがビッククラブに行き、そこで活躍していると、すごく華やかに見えてしまうかもしれません。でも……たとえば、先ほど名前が挙がった田中碧だって、今はドイツ2部のチームに所属していますけど、周りの選手と比べる必要は全くないと思うんですよね。大事なのは自分の信じる道を進んでいくことじゃないですかね。
――その話を聞くと、2013年に、強化を推し進めていたヴォルフスブルクを出て、残留争いの常連ニュルンベルクへ移籍したことを思い出します。当時は香川真司選手がマンチェスター・ユナイテッドで、長友佑都選手がインテル・ミラノでプレーしていましたし、異例の決断でした。
あの時も、周囲の人から「どうしてヴォルスブルクからニュルンベルクへ行くんだ?」と散々言われました。当初、ヴォルフスブルクの(ディーター・)ヘッキンク監督や(クラウス・)アロフスGM(現在はフォルトゥナ・デュセルドルフのGM)からは「君を移籍させるわけにはいかない」と言われて。それでも「移籍させてください」と何度も頼み込んで、どうにか承諾してもらった形でした。
――確固たる考えがあっての決断だったわけですよね?
自分の中で確固たるものとしてあったのは、日本代表のことで。ヴォルフスブルクでは右サイドバックの選手として見られていましたけど、ニュルンベルクは「ボランチとして起用したい」と言ってくれて。(翌年に控えたブラジル)ワールドカップの前にボランチの選手として勝負したいと思い、決断しました。ただ、加入して半年で怪我をしてしまって、「移籍しなければ良かったのかな」と思ったこともありました。
――そうだったんですか?
あとは何より、チームを降格させてしまったから。ニュルンベルクに迷惑をかけてしまって……。
――ただ、あの決断があったからこそ、後にボランチの選手としてフランクフルトから求められ、さらにはリベロを任され、数々の表彰やタイトルも得られたわけですが……。
まぁ、そうですね。もちろん、ニュルンベルクには今も申し訳ない気持ちがあります。ただ、長期的な目線でみたら、あの移籍は自分のサッカー人生を大きく変えたし。だから、決断とはそういうことなのかなと思いますね。
――これまでも自らの頭で考えて決断を下されていますが、ご自身は孤独を苦にしない、孤高の人でもありますよね。1人で温泉や旅行にも行きますし。それはなぜなのでしょう?
うーん、育ってきた環境も関係しているのか……。プロになって変わったわけではなく、昔から、1人でよく考えて、1人で決めるということが多くて。だから、自分の頭の中で考えて結論を出してしまって、家族から「もうちょっと事前に相談してから決めてもらってもいいのに」と言われることも(笑)
――監督になれば孤独と向き合う時間が長くなります。そういう資質はセカンドキャリアで強みになるのでは?
孤独や孤高という資質が、指導者の道で成功する保証になることはないと思います。でも、自分は「常に誰かと一緒にいたい」と思うこともないですし。その分、1人で本を読んだり、音楽に自分を重ねたりしているのかもしれませんね。