本田真凜のラストダンスが琴線に触れた理由 注目を浴びた競技人生、自らが決めたゴール

沢田聡子

最後の全日本、スケート人生の光と影を表現した本田真凜のショートプログラム 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

故障を抱えながら挑んだ3回転

 本田真凜が最後の試合となった2023年全日本選手権で滑ったショートプログラムは、観る者の琴線に触れる演技だった。スケート人生の光と影を表現する『Faded』には、右骨盤の故障を抱えながら、なんとしても最後まで滑り切ろうという本田の強い意志が表れていた。

 本田はすべてのジャンプで回転不足をとられながらも、3回転サルコウ・3回転トウループ+2回転トウループ・ダブルアクセルを着氷させた。ミックスゾーンで、本田は万全ではない体で挑んだ3回転について振り返っている。

「公式練習のときは本当に苦しくて、心が何度も折れそうだったのですが、トリプルの方で。ダブルでまとめて綺麗に気持ちよく滑ることも考えたのですが、今日の結果にはすごく満足しています」

 ステップシークエンスでは、リンクから遠い記者席まで本田の思いが伝わってきた。テレビ放送の録画で見返すと、ステップを踏む本田は今までになく激しい表情をみせていた。いつも綺麗に滑ってきた本田が、闘志をむき出しにして必死に滑っている。彼女がスケートにかけてきた思いを、目の当たりにしたような気がした。

 結果的にフリーに進むことはできなかったが、ミックスゾーンの本田には清々しさが漂っていた。

「今年の全日本は『なにがなんでも出たい』という気持ちが自分の中であって、今までの全日本だったら正直自分が出場できていたかどうか分からないような状況だったのですが、本当にたくさんの方がここまで頑張らせてくださって。そういった方々に、自分の思い切った滑りを、思いを込めて滑りたいなと思って、全力で頑張れたと思います」

 1月11日に行われた引退会見で、本田は10歳頃には16歳になったタイミングでスケートをやめようと考えていたことを明かしている。

「実際16歳になってみると、その時期は自分にとってすごく辛いシーズンではあったのですが、スケートがなくなる生活というのが自分の中では考えられなくて。16歳の年末に一回、自分の意志で初めてスケートを休んだ時期があったのですが、実際に休んでみると罪悪感というか『練習早くしなきゃ』という気持ちになって。4日間しか休まずに、年末にはもう練習を再開していて」

 16歳の本田が2017年末に臨んだ全日本選手権は、2018年平昌五輪代表選考がかかった大会だった。世界ジュニア選手権で2016年に金メダル、2017年には銀メダルを獲得した本田は、平昌五輪がある2017-18シーズン、注目を浴びながらシニアデビューを果たしている。

 2017-18シーズン開幕を控えたアイスショーで本田が滑ったフリー『トゥーランドット』は、表現面での圧倒的な才能を感じさせるプログラムで、今も鮮明に印象に残る。だが天性の華に惹かれて集まった注目は、本田にとっては重圧でもあったはずだ。2017年全日本選手権では7位という成績で、平昌五輪出場はならなかった。本田がスケートから離れようとしたのはその傷心が原因かもしれないが、やはりスケートと共に歩む人生を選択した。

 本田はジュニアに上がった2015年から9年連続で全日本選手権出場資格を獲得してきたが、2020年大会はめまいのために棄権している。この大会では大学卒業と同時に引退することを明らかにしていた兄の太一さんが、現役最後の演技をした。「お兄ちゃんだけには負けたくない、追いつきたい」という気持ちでスケートに取り組んでいた本田は、引退会見で当時を振り返った。

「兄の太一が引退の年、今の私と同じ年になったときに、最後の試合で最高の笑顔、やり切った表情で終わっているのを見て、『私もここまでやり切りたいな』と思いました。『それまで全日本に絶対に出続けるんだ』とそのときに決めて、すべて達成することができて、今に至ります」

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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