【月1連載】久保建英とラ・レアルの冒険(毎月第1木曜日更新)

今あらためて知りたい久保建英とバルサの関係 両者が再び相思相愛となる日は訪れるのか?

高橋智行

13年8月に東京で開催された『U-12ジュニアサッカーワールドチャレンジ』に、バルサの一員として参加した久保。いつか“特別なクラブ”に戻ることはあるのか 【写真は共同】

 昨夏のレアル・ソシエダ加入をきっかけに、ワールドクラスへの階段を上り始めた22歳の若武者を、現地在住の日本人ライターが密着レポートする月1回の新連載コラム、『久保建英とラ・レアルの冒険』。第3回目は、久保が10歳から13歳までを過ごしたバルサのカンテラ(下部組織)時代をあらためて振り返るとともに、将来、再びこの古巣でプレーする可能性について、現地の声を交えてリポートする。

誰が一番ゴールを決められるかを競い合う

 最近では「元レアル・マドリーの選手」というイメージが強くなった久保建英だが、少年時代に自分を見いだし、世界へと羽ばたくきっかけを与えてくれたバルセロナは、今も変わらず特別な存在だ。

 2009年の夏、まだ8歳だった少年は、横浜でのバルサアカデミーキャンプに参加したことで、スペインへと渡る夢を抱くようになる。その後、川崎フロンターレの下部組織を経て、10歳になった11年夏、バルサのカンテラ(下部組織)入団テストに合格。アレビンC(小学校低学年のカテゴリー)に加入した。

 この時代のバルサと言えば、ペップ・グアルディオラ監督のもとに、リオネル・メッシやシャビ、アンドレス・イニエスタ、ジェラール・ピケ、カルレス・プジョルといった才能が集結し、文字通りの黄金時代を謳歌していた。

 そんな世界一のクラブのカンテラに、久保はどういった経緯で入団するに至ったのか。昨年、レアル・ソシエダの地元紙の取材に応じた本人が、当時を振り返っている。

「日本でのバルサキャンプでMVPに選ばれた後、バルセロナスクール選抜の一員としてベルギーで開催された大会に連れて行ってもらってね。そこでも最優秀選手に輝いて、カンテラの入団テストを受けることになったんだ」

 その頃のチームメイトには、現在も欧州各国リーグで活躍している選手が多くいる。

「アンス・ファティ(ブライトン)、エリック・ガルシア(ジローナ)、アドリアン・ベルナベ(パルマ)、ニルズ・モルティメル(デンマークのヴィボー)などがいて、とてもいいチームだった。僕たちが勝つのはほぼ確実だったから、誰が一番多くゴールを決められるか、という気持ちでいつも試合に臨んでいたよ」

「チームメイトはみんなとても仲が良かった。家族のようなグループで、彼らの両親にも良くしてもらったよ」

 ちなみにこのメンバーは、13年8月に東京で開催された『U-12ジュニアサッカーワールドチャレンジ2013』に招待され、見事優勝を果たしている。

カンテラで民族や人種の壁を超えた関係性を築く

バルサのカンテラ時代の久保が一番親しくしていたのが、現在はブライトンでプレーするアンス・ファティ(左)。カタルーニャ語でいつも楽しくおしゃべりをしていた 【Photo by David Ramos/Getty Image】

 久保を日本で見いだした、当時バルサのスクールコーチを務めていたオスカル・フェルナンデス氏(現在はアルゼンチン代表のアンダー世代を担当するコーチ)は、こう回顧する。

「日本でタケを見てすぐに、『この少年と契約しなければならない』とクラブに報告したことを覚えている。スペインに来てからは、練習が終わるといつも私が車で自宅まで送り届けていたよ。時々カンプ・ノウ(バルサの本拠地)に連れて行ってトップチームの試合を観戦させたんだけど、それも少しでも早くチームに溶け込めるようにするためだった」

 またフェルナンデス氏は、当時のチームでキャプテンを務めていたE・ガルシアと久保の関係性について、次のように語っている。

「エリックの家族はタケの家族にとても良くしていた。遠征の時には、エリックの両親がタケの両親や弟をアウェーゲームに連れて行ってあげていたからね」
 
 久保にとってE・ガルシアは、頼れる兄のような存在だったようだ。

 家族愛の強いスペイン人だけに、遠い異国からやって来て知り合いもおらず、言葉の壁に直面している日本人一家を助けることは、それほど特別なことではなかったのかもしれない。とはいえ、幼い久保とその家族にとっては、そんな周囲の優しさがなければ、夢半ば、サッカーとは直接関係のない理由で日本に引き揚げていた可能性もあっただろう。

 そして、チーム内で最も仲の良い選手が、アンス・ファティだった。フェルナンデス氏はこう語る。

「タケが日々の生活の中で最も親しくなったのが、アンスだった。エリックはマルトレイ(バルセロナから30kmほど離れた街)に住んでいたので、一緒に過ごすのは基本的に練習の時だけだったが、タケとアンスはいつも放課後の自由時間を共有していたよ」

 久保が話すスペイン語のネイティブ並みの言い回しや表現力については、ソシエダのホームタウン、サン・セバスティアンでもたびたび話題に上るが、それはすでにバルサ時代に培われていたようだ。当時バルサのコーチを務めていたダニ・オルカル氏も、久保の言語能力に舌を巻く1人だ。

「タケがカタルーニャ語とスペイン語をあっという間に覚えたのには驚かされたよ。(ギニアビサウ出身の)アンスとカタルーニャ語で会話する様子を見ているのが楽しかったし、よく冗談を言い合っていたのを覚えている。エリックもそのおしゃべりの輪に加わっていたね。彼らはただ一緒にプレーするだけではなく、民族や人種の壁を超えた関係性を築き上げていたんだ」

 こうして周囲のサポートや仲間に恵まれた環境の中、久保はバルサのカンテラでゴールを量産。順調にステップアップを遂げていった。しかし、青天の霹靂と言うべきか、まさしく唐突にスペインでの最初のキャリアに終止符が打たれる。

 14-15シーズンの開幕時、バルサは18歳未満の外国人選手の獲得・登録違反でFIFAから制裁を受ける。これによって公式戦に出場できない日々が続いた久保は、15年3月に帰国という苦渋の決断を下し、FC東京の下部組織に入団。当時13歳、スペインに渡って4年目の出来事だった。

 久保はこの件に関して、長い月日が経った今でもまったく納得していない様子だ。

「サッカーが好きな少年が他国に行ってプレーを禁止されるなんて、今でも理解できない。たとえばテニスの世界なんかでは起こり得ないことだ」

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著者プロフィール

茨城県出身。大学卒業後、映像関連の仕事を経て2006年に渡西。サッカー関連の記事執筆や翻訳、スポーツ紙通信員など、ラ・リーガを中心としたメディアの仕事に携わっている。

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