マンチェスター・U凋落の元凶であるグレイザー一家 ファーガソンの栄光を錬金術に変えた米国人オーナーの大罪
ファーガソン監督はメディアを嫌った
マンチェスター・Uを27年間にわたって率い、王朝を築き上げたファーガソン監督(右)。この名将が勇退したのを境にクラブは大きく変わり、凋落の道を辿っていった 【写真:ロイター/アフロ】
例えば負けた試合直後の会見での雰囲気。無論、それほど機会は多くなかったが、そういう時のスコットランド人闘将はまさに鬼の形相で、真っ赤な顔をして、頭のてっぺんから怒りの湯気が立ち上っているという感じで、近寄りがたいなんてものではなかった。この頃の好々爺とも言える笑顔が写真や映像に残っているが、実際は全く凄みが消えていなかった。
ハーフタイムに前半のパフォーマンスが悪かった選手を震え上がらせた叱咤激励は、英メディアで“ヘアー・ドライヤー・トリートメント”(熱風療法)と呼ばれて有名だったが、香川も「あんなに怒る人だとは思いませんでした」と、この時、世間的には老人だったファーガソン監督の癇癪(かんしゃく)に驚いたという証言をしている。
そんな圧倒的存在感を示していたスコットランド人闘将は、メディアを嫌った。特に選手との接触を心底嫌った。まるでメディアの人間と話をすると“心が弱くなる”とでもいうように。
だから当然、モイズがクラブ関係者に尋ねた「ファーギーも同じことをやっていたのか?」という疑問への答えは「ノー」である。日本円にして何億円という金額を支払ったスポンサーに媚を売ることは全くしなかった。
それどころか“うちの強さに便乗したいなら勝手にすればいい”とでもいうような高飛車な姿勢だった。しかしそれもあの、クラブ監督としては史上最高の一人と言える実績を持つ天上人が言うなら仕方がない。
マンチェスター・Uという超人気クラブでスターになることで、選手がメディアに甘やかされるのを心底嫌った監督だった。デイヴィッド・ベッカムがクラブを去ったのも、ルーニーと度々衝突したのも、そこが問題だった。しかしその方針も今となると、正しかったと言わざるを得ない。
ファーガソン監督が去り、そしてその右腕として補強工作に辣腕を振るった最高経営責任者のデイヴィッド・ジル氏も去った。この年、マンチェスター・Uが大きく変わった。
グレイザー一家に媚びることが最大の能力
敏腕として知られたジルの後任に迎えられたウッドワードは、移籍市場で失策を繰り返してメディアやサポーターの批判に晒されながらも、2021-22シーズン途中までグレイザー一家に仕えた 【写真:ロイター/アフロ】
そしてこのモイズの就任・解任騒動の陰で、買収金額の全てをクラブの借金にかえたグレイザー一家が2つ目の大罪を犯していた。それはジルの後任にエド・ウッドワードを起用したことだった。
辛辣な言い方になるが、結局この人は単なる会計士(本当に正真正銘の会計士である)。フットボールに関しては完全なる素人でお金の勘定だけが得意な人間だった。しかし、ウッドワードの最大の能力は、グレイザー一家にとことん媚びることができることだった。
ウッドワードは英国で嫌われるグレイザー一家を自らがクッションとなることで、とことん守った。
だからルイス・ファン・ハールやモウリーニョという大監督をあっさり解任しても(この際に莫大な違約金が発生したことは言うまでもない)、英メディアが常に疑問を投げかけ、欧州の移籍マーケットの中では軽視されたウッドワードが、欧州スーパーリーグへの参加表明をするという大失態を犯すまで、グレイザー一家に切られることはなかったのである。
結局この起用が、ファーガソン監督時代の栄光をスポンサー料獲得という錬金術――しかしこれも向こうが勝手に寄って来るので、大した能力とは言えない気がするが――に変え、トロフィーを勝ち取るというサポーターの望みに応えるクラブ本来の使命を二の次にしてしまったのだ。
アメリカ人オーナーに希薄な「感覚」とは?
グレイザー一家のやり方はアメリカのスポーツビジネスの世界では通用しても、イングランドのフットボールクラブのサポーターには受け入れられない 【写真:ロイター/アフロ】
所詮、グレイザー一家にとってマンチェスター・U買収は投資であり、見返りを求めるのは当然だという考えである。
それは正しい。しかしそれは大西洋を渡った先の論理なのだ。サッカーの母国イングランドでは、オーナーシップというのはサポーターのクラブ愛の延長にあるものである。そしてクラブ愛の根源には純粋に試合に勝つことがある。勝利が感動を生み、ファンの連帯を呼ぶのである。トロフィーはその極限的象徴だ。
そういう意味で、フットボールクラブの経営の成否は単純に利益だけで計ることができない。特殊なのだ。よく宗教に例えられるが、何かしらの勝利を手にして、感動をサポーターに還元しなければならない。それは神が奇跡を起こして、人を感激させ、畏怖させるのに似ている。ともかく、基本的にオーナーはこのサポーターとの感動を共有し、忠誠を誓う感覚に強く共感する人物でなければならないのである。
この感覚がアメリカ人オーナーには希薄なのだ。
確かにリバプールのジョン・ヘンリー・オーナーは、アメリカ大リーグでレッドソックスを復活させた実績があり、スポーツクラブの経営には勝利をつかんで、サポーターに幸福をもたらすことが必須であることが分かっている。しかしやはりそれでも、私財をつぎ込んででも――という常識はずれのクラブ経営はしない。
一方、2004-05シーズンから始まったチェルシーの台頭はロシア人オーナー、ローマン・アブラモビッチのフットボールに対する信心が根本にあった。
さらにマンチェスター・シティの成功も、フットボールに熱狂する中東の投資が根源となっている。
もちろんFFP(ファイナンシャル・フェアー・プレー:UEFAが定める規則で、人件費や移籍金などの支出がクラブ収入を超えることを禁じている)に抵触するという容疑、批判とは常に隣り合わせだが、悪びれるところがない。むしろ「信心に対するお布施になぜ上限が必要なのか?」という感覚だと思う。
だからして、昨年11月にグレイザー一家がマンチェスター・U売却を発表し、子供の頃からのユナイテッド・ファンであるという英実業家のラドクリフ氏やカタールの大富豪が買収候補となった時、このどちらが引き継いでもレッドデビルズ(マンチェスター・Uの愛称)の復活は間違いないと確信した。
ところがサポーターが1年も待たされて、結局はラドクリフ氏に多少の発言権が与えられる25%の株式売却で終わって、マンチェスター・Uから滲み出る甘い汁を吸い続ける最悪のオーナーシップが生き残った。
もちろん、現場の問題もあるのだろうが、マンチェスター・Uの復活の妨げとなっているのは、結局ここなのである。
(企画・編集/YOJI-GEN)