西浦颯大『もう一回野球させてください神様』

「ただの疲労骨折じゃない」 将来有望な外野手へ「8割復帰は無理」の告知

西浦颯大

「プロ野球選手への復帰は8割強、無理」と告げられても落ち込まなかった

 それから病気について、京大病院の先生が詳しく説明してくれました。

 大腿骨頭壊死症は、大腿骨頭(大腿骨の先端の丸い部分)の血流が悪くなり、骨壊死する、つまり血が通わなくなって骨の一部が死んだ状態になるという、国に指定された難病です。骨壊死だけでは痛みは出ないそうですが、壊死した部分が押しつぶされて陥没することで痛みが生じます。そのため、骨壊死があっても、その範囲が小さければ、生涯にわたって痛みが出ることなく、気づかない人もいるそうです。

 逆に言えば、すごく発見が難しい病気で、痛みが出た時にはもうかなり症状が進んでしまっているということです。

 僕の場合、その時点で痛みを感じていたのは左の股関節だけだったのですが、右股関節もすでに病気に侵されていました。特に左股関節の壊死範囲が広かった。加えて、僕はもともと形成不全で、普通なら股関節は、骨盤側のおわん形の臼蓋が大腿骨頭に覆いかぶさるような形になっているのですが、僕はその臼蓋が浅く、半分ぐらいしかないため、荷重が1点にかかってしまっていたそうです。それもあって、壊死した部分の変形が早くなったということでした。

 お医者さんに聞かれました。

「野球はもちろんしたいよね?」

「ハイ」

 即答しました。

「でも、厳しいことを言うようだけど、プロ野球選手への復帰は8割強、無理だと思います」

 その場でハッキリとそう言われました。

「うわー、マジか……」とは、ならなかったんですよ、なぜか。怖さもありませんでした。

「復帰したら、カッコよくね?」

 そう考えました。

 国内では野球選手やアスリートで、同じ病気から復帰した前例はないと聞きましたが、「それならオレが一番最初に復活してやろう。復帰第一号になろう」と思いました。

 全然落ち込まなかったんですよね。絶望感もなかった。

 別に野球ができなくても死ぬわけじゃないし、みたいな感覚でしたし、「オレならいけるんじゃないか」と、プラス思考でした。落ち込んでもしゃーないんで。

 その日、おかんに電話しました。

 最初の病院に行った時から、「ヤバイかも。ただの疲労骨折じゃないと思う」という話はしていたので、ある程度は覚悟していたと思いますけど、京大病院で告げられた病名や、「復帰はほぼ無理」と言われたことなどを伝えると、「そっかー……」と、言葉が出てこない様子でした。

 おかんからオヤジにも伝えてもらったんですが、オヤジは「ちょっとでも可能性があるなら頑張れ」という感じでした。

 おかんたちも、悲しかったと思うんですけど、僕が前を向いていたので、あまり落ち込んだ様子は出さずに、「颯大ならいけそうな気がする」と元気なふりをしてくれていました。

 その年の12月に行われたオリックスとの契約更改では、育成選手として契約することになりました。1350万円だった年俸が、一気に500万円に。

 背番号は「00」から、三桁の「125」になりました。

 球団から病名が発表され、僕自身のSNSでも病気について発信するようになると、同じ病気の方々からたくさんのメッセージをいただきました。

 同じ病気の人がこんなにいるんだなと驚きましたし、「自分はこうでした」といった経験談や、入院生活についてのアドバイスもいただけて、励みになりましたし、少し気持ちが楽になりました。

 僕がこの病気を克服し、またプロ野球選手として活躍することができたら、同じ病気の人が少しでも希望を持てるんじゃないか、と考えるようになりました。

【写真提供:KADOKAWA】

小学6年生でソフトバンクジュニアに選出されるなどセンス抜群の野球少年だった西浦颯大。
中学、高校と輝かしい経歴を歩み、オリックスではあのイチロー以来、10代でホームランを記録するなど華々しい野球人生を歩んでいた。

そんな“野球に愛された男”に突然の病魔が襲い掛かる……
国の指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」を患い、医師から告げられたのは「復帰は8割強、無理」という非情通告……
懸命にリハビリに励むも、復帰は叶わず、22歳の若さで球界を去ることに……

引退を決めた後輩に、山本由伸、宗佑磨がヒーローインタビューで投げ掛けた言葉とは? 
中嶋聡監督が取った意外な行動とは? そして西浦が引退試合で許された「たった1球の物語」とは――?

2/2ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント