W杯で五輪出場を呼び込んだ渡邊雄太 自らを「崖っぷち」に追い込んだ理由と、確かな成果

大島和人

しんどい思いは「僕らの世代まで」に

河村勇輝ら次の世代も台頭しつつある 【(C)FIBA】

 日本代表はそもそも1976年のモントリオール五輪以後、オリンピックに自力で出ていなかった。2016年のBリーグ誕生を機に「成長期」に入っているとはいえ、2019年のW杯と2021年の東京五輪は全敗だった。そんなチームが3勝2敗でアジア最上位となり、パリへ向かう。渡邊の努力、献身が報われた。

「代表活動をずっとやってきていて、僕らはしんどい、きつい思いしかしてこなかったので。ようやく報われました。努力は継続すれば、何かしらの形で自分に戻ってくると僕はいつも思っています。継続して本当に良かった」

 チームの台頭を支えた河村勇輝、富永啓生らの若手についてこう口にする。

「もう楽しい、楽しい後輩です。いい意味で世界を知らないからこそ、本当に思い切ったプレーを見せてくれました。これからはこういう選手が日本を引っ張っていくので、僕らのベテラン組も負けずに、しっかりと自分たちのやることをやりたい。しんどい思いをするのは僕らの世代まででいい」

NBAと違う役割で成長を実感

 渡邊がチームに尽くしている、周囲へ好影響を与えていることは現場で観察していればよく分かった。ただ彼が「与えるだけ」だったかといえば違う。

「言い方があれですけど、成長のために代表を利用させてもらっている部分もあります。自分がNBAではやれない立場を、ここではやらせてもらったりもできる。NBAではロールプレイヤーとして、役割に徹しなければいけません。(代表では)その役割を超えて、『自分はこんなことできるようになっている』と、成長を感じられました」

 NBAにおける渡邊は守備、シュートといった限られた役割に徹する「脇役」「職人」だ。主役を引き立たせるために、プレーを制限される場合も当然ある。しかし日本代表は良くも悪くも渡邊が「すべてをやらなければ回らない」状況で、特にインサイドアタックは彼に期待される部分だった。NBAとは違う持ち味、プレーの幅を彼は表現していた。

自ら模索、確立したリーダー像

渡邊のリーダーシップなくしてパリ五輪出場はなかった 【(C)FIBA】

 渡邊のリーダーシップについて、盟友の富樫はこう口にする。

「今回は大谷翔平であり、ダルビッシュ有でもある渡邊雄太が隣でした。ベテランでもあり一番トップでやっている選手が隣にいて、先頭に立ってやってくれていたので、それに頼り切っていた部分もあります」

 渡邊はリーダーとしての自負を持ち、プレー以外でもその役割を果たした。チームは宿願を達成し、自ら望んだ「崖っぷち」で成長をつかんだ。

「NBAで色々なタイプのリーダーを見て、自分なりのリーダー像を作って、チームを引っ張っていかなければなと思っていました。今回はキャプテンの(富樫)勇樹と僕がいた。マコ(比江島)はあんまりそういうタイプじゃないですけど……でも、(馬場)雄大もマコもプレーで引っ張ってくれた。キャプテンはプレータイムが少ないときもベンチで盛り上げてくれた。僕もコート内外で引っ張っていけたと思います。本当に自分の成長を感じられた5試合でした」

2/2ページ

著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント