明豊が大分大会で絶対に負けられなかった「2つの理由」 見えない力を味方に、甲子園での戦いへ

加来慶祐

今季無冠の状況で挑んだ夏3連覇

3連覇を達成し、笑顔で記念撮影する明豊ナイン。2つの「負けられない理由」を胸に、激戦の大分大会を勝ち抜いた 【撮影:加来慶祐】

「自分たちには、負けるわけにはいかない理由がある」

 明豊の川崎絢平監督が、大会中に何度も口にしたひと言だ。この春、準決勝で大分舞鶴に敗れ、2020年秋の大会初戦から続いた県内公式戦連勝が49でストップ。さらに、夏の前哨戦にあたる5月の県選手権では、同じく準決勝で大分商に9回3点差をひっくり返されて苦杯を舐めている。

 県勢史上初の夏3連覇を通過点とし、常に公言している「日本一」の目標を達成するためにも、同一シーズンでの県内3敗目はもちろん、同じ相手に連敗することは許されないことだった。

 しかし、明豊の独走を許すまじと立ちはだかるライバル勢のレベルも高い。昨春のセンバツで21世紀枠での甲子園初出場を果たし、今春は明豊を倒した勢いそのままに九州準優勝へと躍進した大分舞鶴。今春センバツに出場し、26年ぶりとなる春夏連続での甲子園を目指す大分商……。

 大分大会は明豊と大分商が同じ第1シードのため、決勝まで対戦はない。そして抽選の結果、順当に勝ち進めば第1シードの明豊と第2シードの大分舞鶴が準決勝で対戦する組み合わせとなった。「3年連続の夏甲子園出場は、一度敗れている大分舞鶴と大分商にリベンジを果たして決める」と宣言する明豊にとっては、ある意味で“望みどおり”のトーナメントとなった。

覚醒したエースと果たした“ダブルリベンジ”

 実際に大会は望んだシナリオどおりに進んでいく。準決勝は、大分舞鶴との対戦となった。試合はそれまで3試合19イニングで33得点を挙げた打線が、背番号8の相手左腕・糸永遼太郎(3年)の繰り出す最速120キロ台のコントロールピッチングに苦しめられ、5回まで2安打無得点に抑えられる。その上、6回に失策絡みで1点を先制され、7回を終えて0-1と劣勢に立たされた。しかし、8回に8番・西川昇太(3年)の三塁打で同点。二死後、1番・高木真心(2年)が初球を中前に運び、あっという間に試合をひっくり返す。終盤のワンチャンスで挙げた2得点を、最後はリリーフした森山塁(3年)が最速142キロの直球を軸に守り切った。もちろん、8回1失点(自責0)で粘った背番号1の中山敬斗(3年)による危なげないピッチングが、試合の流れを呼び込んだのは言うまでもない。

 決勝の相手は、こちらも望みどおりに大分商となった。頂上決戦では打線が早々に主導権を握った。2回、4番で主将の西村元希(3年)がサード強襲の二塁打で出塁。打撃好調の5番・石田智能(2年)の右前打、木下季音(3年)の四球で無死満塁とすると、7番・高橋佑弥(3年)がレフトへの適時打でまず2点を先制。さらに、中山の内野ゴロの間に3点を挙げた。

 結局、得点はこの3点のみに終わったが、この試合でも相手に流れを渡さなかったのは先発したエース中山だ。9回を投げ切り被安打2、四球1で無失点。二塁を踏ませない完璧な内容で大分商打線を完封したのである。3回戦で自己最速147キロを叩き出した直球は、決勝でも常時140キロ台を叩き、最終回の最終打者にこの日最速タイの145キロを記録。試合後「人生のベストピッチ」と中山が言えば、川崎監督も「真っすぐの強さ、スライダーのキレは高校生トップレベルだ」と最大級の賛辞を送る。また、この試合の解説に訪れていた古田敦也氏も「非常にレベルの高い投球」と絶賛。まさに圧巻とも言える投球内容だった。

 最後の打者をスライダーで空振り三振に打ち取った瞬間、天に向かって一本指を突き上げ叫んだ中山。そんなエースの振る舞いの中に、明豊が負けるわけにはいかなかった“もう1つの理由”がある。

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著者プロフィール

1976年大分県竹田市生まれ。東京での出版社勤務で雑誌編集などを経験した後、フリーランスライターとして独立。2006年から故郷の大分県竹田市に在住し、九州・沖縄を主なフィールドに取材・執筆を続けているスポーツライター。高校野球やドラフト関連を中心とするアマチュア野球、プロ野球を主分野としており、甲子園大会やWBC日本代表や各年代の侍ジャパン、国体、インターハイなどの取材経験がある。2016年に自著「先駆ける者〜九州・沖縄の高校野球 次代を担う8人の指導者〜」(日刊スポーツ出版社)を出版した。

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