島根のペリン・ビュフォードが今季3度目の月間MVP受賞…Bリーグ3年目を終え、激闘のCSを振り返る
シーズンを通して高いパフォーマンスを発揮し、3度の月間MVP受賞を果たした 【提供:島根スサノオマジック】
ビュフォードはアメリカ生まれの29歳で、198センチ100キロのスモールフォワード。4月と5月の14試合は平均24.8得点8.4アシストと、いずれもリーグ1位のスタッツを記録している。2度の“トリプルダブル”と、2度の「1試合40得点以上」もマークした。さらに4月1日の群馬クレインサンダーズ戦と、4月9日の広島ドラゴンフライズ戦はブザービーターも沈めている。
チームは西地区2位で「日本生命 B.LEAGUE CHAMPIONSHIP 2022-23」に出場し、クォーターファイナルでアルバルク東京に1勝2敗と屈した。ただしビュフォードは3試合連続“トリブルダブル”の大活躍を見せ、第3戦は「決めれば逆転」のラストオフェンスを託された。インタビューは大一番の4日後に行われ、彼にチャンピオンシップを含めた今シーズン、そして来シーズンについても尋ねている。
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無念のチャンピオンシップ敗退もBリーグファンを虜に
非常に厳しい戦いでしたけれど、私がプロバスケットボール選手になりたいと決心し、大学を卒業して、プロクラブと契約をした時からこのようなタフな仕事になると想定していましたので。大丈夫です。今はクォーターファイナルの最終戦で得たこと、心に刻みこまれたことを整理しようとしている段階です。最終戦の教訓から学びを得て、自らのモチベーションにもしながら、より良い選手になっていきたいと思っています。
――A東京との第3戦は、第4クォーター残り11秒7からのオフェンスで、ビュフォード選手がボールを託されました。82-83で2ポイントか3ポイントを決めれば逆転という場面でした。残念ながらスリップして試合が終わってしまったわけですが、改めて振り返っていただけますか?
タイムアウト中に(ポール・ヘナレ)ヘッドコーチが「トップキーでボールを持たせるので、そこから攻撃をするように」と指示がありました。考えることがあるとしたら、ディフェンスがどういう守備形態をやろうとしているかです。
理想としては自分が得意とするエルボーあたりまでボールを運んでシュートを打ちたかったのですが、思ったよりディフェンダーの位置が高く、不運にもそこでつまずいてしまう結果になりました。
――終了直後にビュフォード選手は、一旦ロッカールームに引き上げていきました。ツラい記憶でしょうし、なかなか説明しにくい部分だとは思いますが、どのような心理状態だったのですか?
自分は小さな頃からあのような舞台で、あのような状況でシュートを決めることを夢見てきました。多くの選手が同じ夢を見ていると思います。でも、及びませんでした。今になって、個人的に落胆しているのはシュートを落とすまでもなく、シュートに至らなかったところです。
多くの選手は「シュートを決めるイメージ」を持つと思います。ただ失敗を事前に意識することはあまりないですよね……。ロッカーに戻ったのは、その(予期していなかった)悔しさがあったので、頭をすっきりさせたい、整理したかったからです。
――ウィリアムスニカ選手がロッカーに迎えに来て、ビュフォード選手はコートに戻りました。彼はどのような言葉を掛けたのですか?
彼はロッカーに来て「みんな君が大好きだ」「今シーズン、何度も我々のチームを救ってきたじゃないか」という話をしてくれました。自分は「まず自分の考え、感情を整理したい」と伝えました。もちろんコートに戻るつもりだったのですが、ひとまずその感情を整理してから外に出たいということで(少し時間をおいて)一緒にコートに戻りました。
ウィリアムスニカとともに試合後のコートに姿を見せた 【(C)B.LEAGUE】
感無量でした。自分がコートに戻った時、ファンの皆さんが声援をしてくれると信じていました。それはなぜかと言うと、島根に来て3シーズン目ですけど、どんな時もファンの皆さんは私を後押ししてくれていたからです。例えばInstagramでもよくメッセージもいただいています。本当に感無量で、感謝の気持ちや誇らしさが満ちあふれていました。
――A東京のTwitterを見ましたが、ロッカーも訪れて、相手を称えていましたね。
試合が終わった後、すぐロッカーに戻っていましたからね。私が整列に並ばず、握手もしていなかったことは自覚していました。だからA東京さんに敬意を示すために、ロッカーに行きました。それと、ファンの皆さんには自分がそういった“負け犬根性”を持っているとは思われたくないですから。きちんと敬意を表しながら、まず「おめでとう」と祝福の言葉を伝えて、「今日は素晴らしい戦いをしてくれてありがとう」と称えました。