カズの偉業、オシムの革命、フリューゲルスの消滅……Jリーグ30年史に刻まれた「重大ニュース・ベスト15」

加部究

Jリーグ草創期を彩った三浦知良と読売ヴェルディにまつわるトピックも、重大ニュースにランクイン。先駆者カズは50歳を過ぎた今なお挑戦を続ける 【Photo by Etsuo Hara/Getty Images】

 Jリーグの誕生から30年。その歴史の中では、リーグの発展に深くかかわる様々な事件や、エポックメーキングな出来事が起こってきた。ここでは長年Jリーグを見守り続けてきたスポーツライターの加部究氏に、なかでも衝撃的で印象深い15のニュースをピックアップしていただく。決してポジティブなトピックばかりがランキング入りしたわけではないが、Jリーグのさらなる発展を願う、筆者の厳しい提言にも耳を傾けたい。

15位:2ステージ制を復活も短命に終わる

 2015年、一般的な関心が薄れ、運営も厳しくなったJ1リーグは、多くのサポーターの反対を押し切る形で、11年ぶりとなる2ステージ制の復活を決断する。

 だが、特に16年シーズンは年間勝ち点でトップの浦和レッズに「15ポイント」も及ばない鹿島アントラーズが、短期決戦の仕組みを活かして年間優勝を果たすという皮肉な結末となった。結局、復活させた2ステージ制は、わずか2年という短命に終わっている。

14位:神戸がイニエスタらの大型補強を敢行

2018年にイニエスタ(右)、翌19年にビジャ(中央)と、元スペイン代表のスターを相次いで獲得した神戸。久々のビッグネーム到来に、Jリーグ全体が盛り上がった 【写真:つのだよしお/アフロ】

 20世紀末にEU内の移籍の自由を保証するボスマン判決が下ってから、欧州とJリーグの予算規模は格差が広がる一方で、トップレベルの外国籍選手にはしばらく手が出ない状況が続いていた。

 だが、2004年から楽天がヴィッセル神戸の運営に乗り出し、17年に元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキを獲得したのに続き、18年にはバルセロナとスペイン代表の黄金期に中核を成したアンドレス・イニエスタも手に入れる。その後もJリーグ内では傑出した投資を続け、ダビド・ビジャ(スペイン)、トーマス・フェルマーレン(ベルギー)、さらには大迫勇也など、国内外のトッププレイヤーを次々と獲得した。

 34歳で来日したイニエスタは、ピッチ上でも群を抜くファンタジー溢れるプレーで観客を魅了。19年にはクラブ史上初タイトルとなる天皇杯制覇に貢献すると、翌20年のACLでは故障を押してプレーし、チームをベスト4に導いた。

13位:ヴェンゲル効果で名古屋が大変貌

ヴェンゲルによって、低迷が続いていた名古屋が変貌を遂げる。1995年の第2ステージで2位につけ、天皇杯を制覇。名将の下でピクシーが輝きを放った 【写真:山田真市/アフロ】

 Jリーグ開幕当初から不振が続いた名古屋グランパスは、1994年の第2ステージも最下位に終わり、目玉助っ人のピクシーことドラガン・ストイコビッチも出番が限定的で腐っていたという。

 しかし、翌95年にフランス屈指の名将と謳われるアーセン・ヴェンゲルが監督に就任すると、チームもピクシーも一変した。コンパクトで組織的な戦術の中で、なによりピッチ上の選手たちの個性が最大限に引き出され、第2ステージでリーグ2位に食い込むと、天皇杯を制してクラブ初タイトルを勝ち取る。残念ながらヴェンゲル体制は1年半で終焉を迎えるが、その監督としての力量は、新天地のアーセナルでも十分に証明された。

12位:次々に発覚したパワハラ行為

 1980年代にスポーツ紙で巨人を担当していた時期がある。当時の巨人はプロ野球界の中でも群を抜いて人々の関心が高かったので、連日大勢の報道陣が見守る前で練習が行われ、指導者が選手を殴れば「鉄拳制裁」とすぐに一面を飾った。衆人環視下でも蛮行が「厳しい指導」として正当化されていたわけで、同時代での似たような体験を経て、はるかに「見られている意識」が薄いサッカー界でパワハラが相次ぎ発覚するのは必然だった。

 2019年に明らかとなった湘南ベルマーレの曺貴裁監督(当時)によるパワハラ行為を皮切りに、東京ヴェルディ、サガン鳥栖、ガンバ大阪などでも同様の問題が露呈していくのだが、実際Jリーグに限らずサッカー界全体におけるハラスメントの意識は呆れるほど希薄だ。せっかく指導者養成制度を他競技に先駆けて確立したのだから、今後は範となるべく、良質な指導を受けた選手たちが伸びていく流れを築いていく責務がある。

11位:挑戦し続ける先駆者カズ

 Jリーグの開幕を控えた当時25歳の三浦知良は語っていた。

「今がピークだなんて思わない。一応、2002年までは頭にありますよ。常にワールドカップは目標だけど、ワールドカップに行ったらまた次の目標ができるだろうし、ずっと目標は上にあって、到達することもなくサッカーも終わるんじゃないかな。人生と同じですよ」

 35歳で迎える自国開催の日韓W杯を視野に入れているというのは、半ばジョークだったはずだ。日本代表をW杯に導くためにブラジルから帰国し、“ドーハの悲劇”で94年アメリカW杯出場を逃した後には、セリエAのジェノアに挑戦。ブームの牽引車にはファンと同じくらいのアンチも存在していたが、「それが本当のスター」だと本人は自覚していた。

 しかし、いつしかベテランの域を超えていく頃からは、アンチが消え、すべてのファンの尊敬の対象となる。若い頃は「ボクのようなタイプはキレがなくなったら終わり」と話していたカズだが、J2では50歳14日で得点し(Jリーグ最年長得点記録)、54歳12日でJ1のピッチに立った(J1最年長出場記録)。そして56歳となった現在は、ポルトガル2部リーグのUDオリヴェイレンセでプレー。Jリーグ初代MVPの現状を誰よりも驚いているのは、昔日のカズ自身かもしれない。

10位:G大阪が昇格→即3冠の快挙

先の読めない大混戦もJリーグの魅力の1つだろう。2014年にはG大阪が、昇格1年目にしていきなり3冠の大偉業を成し遂げている 【(C)J.LEAGUE】

 ジュビロ磐田と鹿島アントラーズの二強時代を経た21世紀初頭のJリーグは、優勝争いから残留争いまでが紙一重で大混戦の様相を呈していた。それを象徴するように、2011年にはJ2から復帰したばかりの柏レイソルがJ1を制覇。同年にはJ2優勝を果たしたFC東京が、天皇杯を制している。

 こうした流れの中で、14年シーズンにガンバ大阪が快挙を成し遂げる。前年に長谷川健太監督を迎えてJ2を制すと、昇格1年目にいきなり3冠という世界でも未曾有の大偉業を達成したのだ。

9位:若手の育成環境が依然として暗中模索

 開幕当初、トップチームでの出場機会が限られる選手たちによるサテライトリーグを開催してきたJリーグだが、やがて形骸化して消滅。次に2016年からは、J1の3つのクラブ(FC東京、ガンバ大阪、セレッソ大阪)がU-23チームをJ3に参加させたが、この試みも長続きはしなかった(20年度で終了)。

 欧州では各クラブがU-23やU-20などのチームを持ち、もっとも実戦を経て伸びていく年代の選手たちを強化する仕組みが確立されているが、Jリーグの場合は下位リーグへのレンタル移籍や特別強化指定制度を利用して若手の強化を図るしかなく、ユースや高校を経てプロ入りした選手たちの有意義な公式戦の場が確保されていない。結果、大卒選手がリーグの約半数を占めていく要因にもなっている。

 アカデミーの逸材をトップレベルにまで育て上げる仕組みがなければ、今後世界との差を縮めていくのは難しくなる。またこの状況が続けば、リスク覚悟で早いタイミングで欧州挑戦を選択する選手が増えてくるかもしれない。

8位:草創期の雄ヴェルディの栄光と凋落

 野球との差別化を際立たせて颯爽とプロの時代を牽引したのは、風貌もプレーも個性派だらけのヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)だった。技術と勝負強さを併せ持つ三浦知良、ラモス瑠偉らは、世界的な高額年俸も含めてオン・オフを問わず話題を提供し続けた。

 だが、主力が高齢化し、観客動員が減少して経営が逼迫すると、読売新聞や日本テレビが相次ぎ撤退。読売グループはヴェルディを野球の巨人のようなナショナルブランドにしようと目論見、2001年にはホームタウンを当初の川崎から東京に移転したが、リーグが掲げる地域密着活動を疎かにしたツケは大きかった。その後、ヴェルディが去った等々力で人気を確立していく川崎フロンターレとは、くっきりと明暗を分けることになる。

7位:冤罪で潰された我那覇和樹という才能

2006年に18得点を挙げるなど、当時選手として絶頂期にあった川崎Fのストライカー、我那覇和樹。翌07年4月の冤罪事件が彼の運命を変えた 【(C)J.LEAGUE】

 Jリーグの最大の財産は選手であり、それは機構が何を差し置いても守るべきものだ。才能ある選手たちが、努力に即して活躍できる環境を担保できなければ、子どもたちも憧れを抱くことができない。

 ところがJリーグは、明白な非を認める潔さを持たず、我那覇和樹という才能を潰した。2007年4月、川崎フロンターレに所属していた日本代表FWの我那覇は、感冒の症状が出たため点滴治療を受けた。それをスポーツ紙が「にんにく注射」だと誤報を流し、Jリーグはドーピング違反として、反論の機会さえ与えず拙速に当事者とクラブに処分を下してしまう。

 我那覇は身の潔白を証明すべく、「誰もが自分と同じ思いをしてはならない」という強い責任感から、3440万円を払ってCAS(スポーツ仲裁裁判所)に訴え出て、全面的に申し立てを認められた。ところが、それでもJリーグは鬼武健二チェアマン(当時)が自らをけん責処分としただけで、我那覇への謝罪も経済的な補償もしていないという。

 我那覇は42歳の今も現役でプレーを続けている(九州サッカーリーグのジェイリースFC所属)。しかし損なわれた時間は戻ってこない。もちろん、すでに当時とは機構側の責任者の顔ぶれも変わっている。だが、我那覇自身の名誉の回復を図るのに遅すぎることはない。

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著者プロフィール

1958年生まれ。立教大学法学部卒業。1986年メキシコW杯を取材するため、スポーツ新聞社を3年で退社。以後フリーランスのスポーツライターに転身し、サッカーW杯は男女合わせて8度現地で取材。主な著書に「毎日の部活が高校生活一番の宝物」(竹書房)、「日本サッカー戦記」「それでも美談になる高校サッカーの非常識」(以上カンゼン)、「大和魂のモダンサッカー」「サッカー移民」(以上双葉社)などがある

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