カズの偉業、オシムの革命、フリューゲルスの消滅……Jリーグ30年史に刻まれた「重大ニュース・ベスト15」
Jリーグ草創期を彩った三浦知良と読売ヴェルディにまつわるトピックも、重大ニュースにランクイン。先駆者カズは50歳を過ぎた今なお挑戦を続ける 【Photo by Etsuo Hara/Getty Images】
※リンク先は外部サイトの場合があります
15位:2ステージ制を復活も短命に終わる
だが、特に16年シーズンは年間勝ち点でトップの浦和レッズに「15ポイント」も及ばない鹿島アントラーズが、短期決戦の仕組みを活かして年間優勝を果たすという皮肉な結末となった。結局、復活させた2ステージ制は、わずか2年という短命に終わっている。
14位:神戸がイニエスタらの大型補強を敢行
2018年にイニエスタ(右)、翌19年にビジャ(中央)と、元スペイン代表のスターを相次いで獲得した神戸。久々のビッグネーム到来に、Jリーグ全体が盛り上がった 【写真:つのだよしお/アフロ】
だが、2004年から楽天がヴィッセル神戸の運営に乗り出し、17年に元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキを獲得したのに続き、18年にはバルセロナとスペイン代表の黄金期に中核を成したアンドレス・イニエスタも手に入れる。その後もJリーグ内では傑出した投資を続け、ダビド・ビジャ(スペイン)、トーマス・フェルマーレン(ベルギー)、さらには大迫勇也など、国内外のトッププレイヤーを次々と獲得した。
34歳で来日したイニエスタは、ピッチ上でも群を抜くファンタジー溢れるプレーで観客を魅了。19年にはクラブ史上初タイトルとなる天皇杯制覇に貢献すると、翌20年のACLでは故障を押してプレーし、チームをベスト4に導いた。
13位:ヴェンゲル効果で名古屋が大変貌
ヴェンゲルによって、低迷が続いていた名古屋が変貌を遂げる。1995年の第2ステージで2位につけ、天皇杯を制覇。名将の下でピクシーが輝きを放った 【写真:山田真市/アフロ】
しかし、翌95年にフランス屈指の名将と謳われるアーセン・ヴェンゲルが監督に就任すると、チームもピクシーも一変した。コンパクトで組織的な戦術の中で、なによりピッチ上の選手たちの個性が最大限に引き出され、第2ステージでリーグ2位に食い込むと、天皇杯を制してクラブ初タイトルを勝ち取る。残念ながらヴェンゲル体制は1年半で終焉を迎えるが、その監督としての力量は、新天地のアーセナルでも十分に証明された。
12位:次々に発覚したパワハラ行為
2019年に明らかとなった湘南ベルマーレの曺貴裁監督(当時)によるパワハラ行為を皮切りに、東京ヴェルディ、サガン鳥栖、ガンバ大阪などでも同様の問題が露呈していくのだが、実際Jリーグに限らずサッカー界全体におけるハラスメントの意識は呆れるほど希薄だ。せっかく指導者養成制度を他競技に先駆けて確立したのだから、今後は範となるべく、良質な指導を受けた選手たちが伸びていく流れを築いていく責務がある。
11位:挑戦し続ける先駆者カズ
「今がピークだなんて思わない。一応、2002年までは頭にありますよ。常にワールドカップは目標だけど、ワールドカップに行ったらまた次の目標ができるだろうし、ずっと目標は上にあって、到達することもなくサッカーも終わるんじゃないかな。人生と同じですよ」
35歳で迎える自国開催の日韓W杯を視野に入れているというのは、半ばジョークだったはずだ。日本代表をW杯に導くためにブラジルから帰国し、“ドーハの悲劇”で94年アメリカW杯出場を逃した後には、セリエAのジェノアに挑戦。ブームの牽引車にはファンと同じくらいのアンチも存在していたが、「それが本当のスター」だと本人は自覚していた。
しかし、いつしかベテランの域を超えていく頃からは、アンチが消え、すべてのファンの尊敬の対象となる。若い頃は「ボクのようなタイプはキレがなくなったら終わり」と話していたカズだが、J2では50歳14日で得点し(Jリーグ最年長得点記録)、54歳12日でJ1のピッチに立った(J1最年長出場記録)。そして56歳となった現在は、ポルトガル2部リーグのUDオリヴェイレンセでプレー。Jリーグ初代MVPの現状を誰よりも驚いているのは、昔日のカズ自身かもしれない。
10位:G大阪が昇格→即3冠の快挙
先の読めない大混戦もJリーグの魅力の1つだろう。2014年にはG大阪が、昇格1年目にしていきなり3冠の大偉業を成し遂げている 【(C)J.LEAGUE】
こうした流れの中で、14年シーズンにガンバ大阪が快挙を成し遂げる。前年に長谷川健太監督を迎えてJ2を制すと、昇格1年目にいきなり3冠という世界でも未曾有の大偉業を達成したのだ。
9位:若手の育成環境が依然として暗中模索
欧州では各クラブがU-23やU-20などのチームを持ち、もっとも実戦を経て伸びていく年代の選手たちを強化する仕組みが確立されているが、Jリーグの場合は下位リーグへのレンタル移籍や特別強化指定制度を利用して若手の強化を図るしかなく、ユースや高校を経てプロ入りした選手たちの有意義な公式戦の場が確保されていない。結果、大卒選手がリーグの約半数を占めていく要因にもなっている。
アカデミーの逸材をトップレベルにまで育て上げる仕組みがなければ、今後世界との差を縮めていくのは難しくなる。またこの状況が続けば、リスク覚悟で早いタイミングで欧州挑戦を選択する選手が増えてくるかもしれない。
8位:草創期の雄ヴェルディの栄光と凋落
だが、主力が高齢化し、観客動員が減少して経営が逼迫すると、読売新聞や日本テレビが相次ぎ撤退。読売グループはヴェルディを野球の巨人のようなナショナルブランドにしようと目論見、2001年にはホームタウンを当初の川崎から東京に移転したが、リーグが掲げる地域密着活動を疎かにしたツケは大きかった。その後、ヴェルディが去った等々力で人気を確立していく川崎フロンターレとは、くっきりと明暗を分けることになる。
7位:冤罪で潰された我那覇和樹という才能
2006年に18得点を挙げるなど、当時選手として絶頂期にあった川崎Fのストライカー、我那覇和樹。翌07年4月の冤罪事件が彼の運命を変えた 【(C)J.LEAGUE】
ところがJリーグは、明白な非を認める潔さを持たず、我那覇和樹という才能を潰した。2007年4月、川崎フロンターレに所属していた日本代表FWの我那覇は、感冒の症状が出たため点滴治療を受けた。それをスポーツ紙が「にんにく注射」だと誤報を流し、Jリーグはドーピング違反として、反論の機会さえ与えず拙速に当事者とクラブに処分を下してしまう。
我那覇は身の潔白を証明すべく、「誰もが自分と同じ思いをしてはならない」という強い責任感から、3440万円を払ってCAS(スポーツ仲裁裁判所)に訴え出て、全面的に申し立てを認められた。ところが、それでもJリーグは鬼武健二チェアマン(当時)が自らをけん責処分としただけで、我那覇への謝罪も経済的な補償もしていないという。
我那覇は42歳の今も現役でプレーを続けている(九州サッカーリーグのジェイリースFC所属)。しかし損なわれた時間は戻ってこない。もちろん、すでに当時とは機構側の責任者の顔ぶれも変わっている。だが、我那覇自身の名誉の回復を図るのに遅すぎることはない。