#J30ベストアウォーズ

“神様”ジーコと40歳でのハットトリック 記録と記憶に残る「ベスト3ゲーム」とは?

北健一郎

日本でプレーすることが、相乗効果に

――ジーコさんの“相棒”だったアルシンドさんは、開幕からゴールを量産して1stステージ優勝の原動力となりました。

 アルシンドとはフラメンゴ時代に一緒にプレーしていました。もともとは、左サイドの石井(正忠)がケガをしたことで、左でプレーできる選手がいないかと探していてピックアップしたんです。

 ただ、鹿島が開幕前にイタリア遠征に行ったタイミングで、石井(正忠)の調子が上がってきて、代わりに黒崎(比差支/現・久志)が日本代表活動に招集されていたので、アルシンドをトップ(FW)の位置に入れました。

 アルシンドはスピード、テクニック、パワーを兼ね備えていて、右でも左でもシュートを打てる選手です。FWでの役割もわかっていたので、あとは自分が持っている武器をピッチの上で発揮するだけでした。

――レオナルド、ジョルジーニョ、ドゥンガなど、素晴らしいブラジル人選手が日本でプレーするきっかけになったのは、ジーコさんが日本にいたことが大きかったと思います。

 私がブラジルの有名選手を日本に呼び寄せたというとそんなことはありません。Jリーグ、そしてクラブを支えていたスポンサーのおかげだと思います。彼らの尽力がなくしては、ここまで日本のサッカーのレベルが上がることはなかったのではないでしょうか。

 Jリーグ開幕当初は、リネカー、リトバルスキー、ラモン・ディアスなどブラジル以外からのスター選手たちも日本でプレーしていました。アーセン・ヴェンゲル監督や、オズワルド・アルディレス監督なども、日本サッカーに良い影響をもたらしたと思います。

育成強化と、国内リーグの価値向上へ

Jリーグの未来のために愛のあるアドバイスを贈ってくれた 【スポーツナビ】

――1993年に立ち上がったJリーグは30周年を迎えました。ジーコさんから、これからのJリーグ、日本サッカーへメッセージをいただけますか。

 今、若い選手たちが早くして海外に移籍して結果を出せず、すぐに国内リーグに戻ってくるケースが増えているように感じます。ブラジルでも同様のことが起こっています。その原因はブラジルでも日本でも同じことですが、国内のプレーヤーを、きちんと評価できていない点があるのかなと。

 例えば今回のカタールW杯では、ブラジル代表は26人の選手のうち3人しか国内でプレーをしていませんでした。日本代表は6人でしたし、そこは改善していく必要があると思います。

 まずは、育成年代を大事にすることですね。将来を支える子どもたちをしっかりと育てることで、日本サッカーのレベルが上がっていきます。自分がプロになった国で結果を出して、成熟してから海外に渡る。このプロセスを大切にしてほしいです。

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著者プロフィール

1982年7月6日生まれ。北海道旭川市出身。日本ジャーナリスト専門学校卒業後、放送作家事務所を経てフリーライターに。2005年から2009年まで『ストライカーDX』編集部に在籍し、2009年3月より独立。現在はサッカー、フットサルを中心に活動中。主な著書に「なぜボランチはムダなパスを出すのか?」「サッカーはミスが9割」(ガイドワークス)などがある。

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