Jリーグ“天日干し”の秘話 ~前チェアマン・村井満回顧録~

なぜJリーグは「実績も実体もなかった」DAZNを選んだのか? 村井満氏が今だから語る秘話(2)

宇都宮徹壱
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 連載第2回は、2016年のDAZNとの交渉をめぐる秘話。スカパー!に代わる放映権の交渉相手として、Jリーグが選んだのはパフォーム・グループ(2019年にDAZNグループに社名変更)であった。交渉の末にJリーグは、パフォームとの間で、10年間で約2100億円という大型契約を結ぶ。そしてDAZNマネーの投下により、われわれファンの視聴環境とJリーグの風景が大きく変わっていったのは周知のとおりである。

 複数社に対する、入札のオリエンテーションが行われたのは、2016年4月のこと。実はこの時点で、まだDAZNのサービスは始まっていなかった。当時のチェアマン、村井満氏の言葉を借りるなら「実績もなければ実体さえもなかった」状態だったのである。加えて、参加事業者の中では唯一の外資。これまでJリーグは、外資との交渉は一度も経験したことがなかった。

 こうしたネガティブ要素があったにもかかわらず、Jリーグが最優先の交渉相手にパフォームを選んだのは、もちろん契約年数と金額が魅力的だったことは間違いない。が、村井氏によれば「決してそれだけではなかった」という。

 なぜJリーグは「実績も実体もなかった」DAZNを選んだのか? 今回も村井氏に振り返ってもらおう。

ファーストコンタクトは2014年のミャンマー

DAZN元年となった2017年のJリーグキックオフカンファレンスを終えて取材に応じる村井チェアマン 【宇都宮徹壱】

 DAZNとのファーストコンタクトは、意外と早いタイミングで2014年の6月28日でした。2014年といえば、ワールドカップのブラジル大会があった年ですよね。日本代表のグループステージの最後の試合(コロンビア戦)が6月24日でしたから、その4日後。3戦で終わった失意を抱えたまま、出張でミャンマーに立ち寄ったんです。

 その時に現地で出会ったのが、パフォーム・グループのディーン・サドラーさん。ディーンはニュージーランド出身の元ラガーマンで、東芝では社員としてプレーしていたから日本語がペラペラでした。彼は僕に会うために、わざわざ出張先のミャンマーで待ち伏せしていたわけです(笑)。

 当時はまだDAZNというブランド名はなく、OTT(オーバー・ザ・トップ=インターネット動画配信)のサービスを開始するのも、それから2年後の話。ただ、サッカーを中心としたコンテンツサービスの『Goal.com』や、スポーツのデータを扱う『Opta Sports』を買収していて、規模は小さかったですが日本にもオフィスを構えていたんですよ。

 この時にディーンからは、自分たちのビジネスの説明とともに「いずれJリーグと一緒に仕事がしたい」というようなことを言われたように記憶しています。そういえば、当時のGoal.comはクリップ動画の配信をやっていたんですが、「いつかはフルマッチをやりたい」みたいなことも言っていましたね。

 それがのちの大型契約に発展するなんて、当時は夢にも思いませんでした。だって、まだDAZNなんて影も形もなかったわけですから(笑)。

 実はディーンたちは、複数のローンチ(新規事業立ち上げ)候補の中に、日本をねじ込んでいるんです。プレミアとかリーガとかセリエAといった、巨大マーケットについては厳しい。そこでパフォームは当初、ブンデスリーガをはじめとするドイツ語圏を想定していました。それとは別に、ヨーロッパから遠く離れていた日本も、候補に挙がっていたんです。

 なぜ日本だったのか?
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)。近著『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。W杯招致では、基本的には日本開催に「賛成」の立場を取る。

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