連載:愛されて、勝つ 川崎フロンターレ「365日まちクラブ」の作り方

クラブはまちづくりのパートナー 福田紀彦川崎市長が語るフロンターレ

原田大輔

福田紀彦・川崎市長の初当選は2013年 【(C)川崎フロンターレ】

 川崎市長に当選するだいぶ前のことだ。

 当時は県議会議員だった福田紀彦市長は、川崎市内のとある駅前で、熱心にチラシを配る人たちの姿に目を留めた。自身も政治家として、駅前で活動する機会や街頭演説を行うことも多かったため、感じるところがあったのだろう。

「川崎フロンターレです。次の週末にホームゲームがあるので、ぜひ等々力陸上競技場に試合を見に来てください」
 チラシを配り、道ゆく人に声をかけていたのは、川崎フロンターレのスタッフだった。

「一人ひとりに熱心に声をかけて、試合に来てくれるように呼びかけていました。熱量があり、手作り感があり、なんとかまちの人たちに受け入れてもらおうと頑張っているように見えました。私自身も、議員時代はそうした活動をしていましたので、一人ひとりに丁寧に向き合うことの大切さに、強いシンパシーを抱きました」

 知人や友人に誘われて、等々力陸上競技場に足を運び、川崎フロンターレの試合を観戦したこともあった。当時は、自身も今のように“熱狂的なサポーターの一人”になるとは思ってもいなかった。

「チームが強くなってからも、フロンターレが川崎のまちをなんとか盛り上げようとしてくれていることは、いろいろなところで見えていました」

 そうした川崎フロンターレの存在を強く認識するようになったのは、やはり2013年、川崎市長に初当選してからだった。

「当初は正直、驚きました」

 当時の砂田慎治副市長が川崎フロンターレの活動に理解を示し、一緒になってさまざまなことに取り組んでいるのは聞いていた。だが、川崎市長に就任し、各局とやり取りしていくと、想像していたよりも多くの分野、多くの局で協力体制が築かれていた。

 なにより、集客プロモーション部の天野春果と面会すると熱量に圧倒された。

「天野さんとお話ししていると、次から次へとアイデアが飛び出してきて、お会いするたびに各局の担当者と、『次はこんなことができそうですね』という話が続いていました。しかも、川崎フロンターレはプロサッカークラブなので、Jリーグの試合に勝つことが主な目的なのだろうと考えていましたが、提案される多くの企画は、試合と関係のないものばかりでした。そうした企画のベースにあるのは、川崎のまちを盛り上げたい、そのために(自治体である)川崎市と一緒になって取り組んでいきたい、という熱意でした。その考えと熱量に共感し、川崎のまちを盛り上げていくために、私自身もぜひ一緒にやっていきたいという気持ちになりました」

 自治体は、そこで暮らす人たちの生活を守り、幸せにしていくことが理念にある。川崎フロンターレも「Jリーグ百年構想」をモットーとするように、サッカーというツールを使って、地元に住む人たちを幸せにしていきたいと考えてきた。

 自治体とスポーツクラブ、川崎市と川崎フロンターレ。両者が目指す未来は一致していたのである。

「川崎フロンターレは単なるサッカーチームではなく、まちづくりのパートナーだと考えています。彼らの軸はサッカーですが、ありとあらゆるところで我々と一緒に施策を行っています。川崎というまちにとって、今では“フロンターレのない世界”はもはや考えられない。それくらいの存在になっていることは間違いありません」

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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