選手権スターが選ぶ同世代ベストイレブン【増嶋竜也編】「平山は永遠のライバル。圭佑は超生意気(笑)」
国見高と繰り広げた名勝負は今でも語り草。「高校時代は最高の思い出」と増嶋は回想する 【本人提供】
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思っていたよりはるかにすごい選手
国見高2年時と3年時に選手権連覇に貢献した徳永。その後、FC東京、長崎で長きにわたって活躍した 【写真:川窪隆一/アフロスポーツ】
(大津高→FC岐阜など/84年4月15日)
僕にとっては、「高校サッカーのGK」と言ったら時久さん。中学時代とは違う高校サッカーのすごさはGKのレベルの高さにあると思うんですが、1年から試合に出させてもらったことでそれを体感したからこそ、当時、全国的に有名だった「大津の時久」という名前に憧れました。だから、僕の中では「高校サッカーのGK=時久省吾」として記憶されているんです。
ちなみに同学年には同じ市立船橋の佐藤優也(現・ロアッソ熊本)、1学年下には林彰洋(今冬、FC東京からベガルタ仙台へ移籍)という、今でもJリーグで活躍しているGKがいます。でも、“高校時代の存在感”という意味ではやっぱり時久さんの印象が強い。同世代のサッカー選手なら、同じように思っている人がきっとたくさんいると思います。
DF 徳永悠平
(国見高→FC東京など/83年9月25日)
僕の2つ上の学年で、選手権で優勝した国見の10番。でもポジションはDFというカッコいい選手でしたよね。高校時代は最終ライン中央でプレーするリベロのような役割だったけど、プロになってからの活躍が印象的な右サイドバックとして選出させていただきました。あの頃の徳永さんなら、どのポジションでもハイレベルにこなしてしまうと思いますから。
FC東京でチームメイトになって感じたのは、「思っていたよりはるかにすごい選手」ということです。不器用そうに見えるけど、対峙してみるとまったく抜ける気がしない。身体が強くて、しかもその身体を使う守備のテクニックが本当に素晴らしい。そう考えると、やっぱり“国見っぽい”のかな。プロでのキャリアも含めて、本当に素晴らしい選手だったと思います。
DF 小宮山尊信
(市立船橋高→川崎フロンターレなど/84年10月3日)
市立船橋の“1コ上”。僕が入学した時はすでに両足で蹴れる左サイドバックだったんですけど、実はもともと右利きだったんです。小宮山さんが1年の時に右足を骨折して、それがきっかけで左足を猛練習したらそのまま利き足になってしまった。僕自身にとっては「初めて見た両利き選手」でした。かなり衝撃的だったし、間違いなくあの世代屈指の左サイドバックだったと思います。
高校時代から攻撃センスがあったし、フィジカル的なレベルも高かったのでかなり完成度が高い選手だったと思います。プロになってからは、川崎フロンターレや横浜F・マリノスといったハイレベルなチームでプレーすることでクレバーな選手になりましたよね。
ちなみに高校時代はちょっと“抜けた”キャラクターで、いつも布先生に怒られていました。後輩としては思わず好きになってしまう先輩でしたね。
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