DeNA識者が感じる優勝の空気、98年の再現 鍵は「1、2番とセンターライン」
ベイスターズ25年ぶりの優勝へ向けて鍵を握る選手たち 【写真:共同通信社】
第2回目となる今回は横浜DeNAベイスターズ編。ライターであり文春野球コミッショナーでもある村瀬秀信さんとライター菊地高弘さんの対談をお届けします。
2022年は「1997」点!
ノーヒットノーランを達成するなど、3年ぶりのAクラス入りに貢献したエース今永昇太 【写真:共同通信社】
村瀬 最終的に見れば、ですけどね、数字のマジックで。平均的に見ると噛み合っているように見えますけど、本当はこれ(ものすごい上下の動き)でしたからね。
菊地 富士急ハイランドのジェットコースターに乗っているような本当に激しいシーズンでしたね。
村瀬 上下だけでなく横の振幅も激しかったですね、広島に弱くて中日に強いみたいな。上下左右の動きが激しい、とんでもないシーズンでしたよ。だからベイスターズファンは酔っ払っていますね。もう「普通」っていうものが分からなくなっています。
菊地 なるほど(笑)。そんななかで、2022シーズンに村瀬さんが点数をつけるとすると、100点満点で何点だったでしょうか?
村瀬 僕は97点と言いたいですね。正直、6月の交流戦ぐらいの時点でもう今シーズン終わったと思っていたんで。
菊地 (笑)。
村瀬 そこから最後の最後まで楽しませてもらったことを考えると、100点には及ばなくても97点くらいはあげていいのかなというはありますね。ただこれは表向きの数字で、本当の点数は「1997」点なんですよ。
菊地 日本一になった1998年になる前年(にかけた点数)だということですね?
村瀬 そうです。ご存じ、ベイスターズが38年ぶりの日本一になった1998年と言いますとですね、ヤクルトとの優勝争いに敗れた1997年の経験があったからなんですね。
2022年はその1997年にとても酷似している年だったんです。つまり、来年の優勝の準備ができた「1997」点、という意味での点数です。
菊地 ヤクルトと優勝争いをしたこと以外にも酷似した部分はあったんですか?
村瀬 ありますね。あの年も2022年と同じようにベイスターズはスタートから低調気味だったんです。でも夏場くらいからものすごく追い上げるんですよね。2022年も同じように10何ゲーム差あったところから最終的に4ゲーム差まで追いつきましたしね。
1997年は結局9月2日からの横浜スタジアムでのヤクルト3連戦、そこで石井一久(現楽天監督)に伝説のノーヒットノーランを食らいまして、あそこで終止符を打たれました。
でもそのときの悔しさが翌年の優勝につながったということが物語として伝えられているんです。
菊地 なるほど。
村瀬 当時を知っている古いベイスターズファンのおじさん、おばさんたちはですね、2022年はヤクルトとデッドヒートを繰り広げるであろうけれども、夏場のどこかで「(ベイスターズに引導を渡す)石井一久役は誰か!?」という、ヤクルトにやられるところまでを予想していましたね。
結局これがね、左のパワーピッチャーの高橋奎二あたりにノーヒットノーランをやられて(優勝争いが)終わるんじゃないかと思っていたんですけど、奥さんも有名人(板野友美)というのも石井一久(奥様は元アナウンサーの木佐彩子)と同じですし。そしたらまさかの村上(宗隆)だったという話ですよね。
菊地 (笑)
村瀬 これがターニングポイントになった試合になるかと思うんですけども、8月26日から28日のヤクルト3連戦。あれは2022年セ・リーグ最大の山場、天王山、4ゲーム差で迎えた首位攻防3連戦だったんですけども、ここを3連勝すれば一気に優勝が現実的に見えてくる、勢い的にもいけるというところで、ご存じの通り、村上選手が11打数9安打、4本塁打、9打点、9打席連続安打、14打席連続出塁という、もう防ぐ術がまるでなかったですね、あれは。
ヤクルトファンの方達が“村神様”ってよく言っているじゃないですか? 神、神、神って、そんな神様なんてそうそういないよ、って思っていたんですけどねぇ……(笑)
菊地 (笑)
村瀬 いやぁ、おっかなかったですよ。どこに投げても打たれちゃうし。3連戦の最後の一つだけでも獲れればと思っていた、4-4で迎えた7回の打席ですよね。ピッチャー、エスコバーのインローのボールを軽くあわせて「ナイスショット!」みたいな(感じで右中間に決勝ホームラン)ね。なんだこの神々の戯れみたいな感じは、っていうね(笑)。
ちょっと人間の領域を出たという場面が、時々野球を見ていたらあるんですけど、その神様が降りてきた瞬間というのを目の当たりにしたやつですよね。あと、なにげにキブレハンも3打席連続ホームランを打ったりしてね。
菊地 年間通してそんなに活躍していたわけではなかったですけど、あの3連発は強烈でしたね。
村瀬 強烈でした。あれは1998年のマラベと同じぐらい、2022年のキブレハンっていうのは、ある意味で横浜に名前を刻みましたよね。
菊地 マラベ(笑)。